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「生きづらさ」のわかりづらさ

 たとえば昔であれば「落ち着きのない子」と言われていたタイプが「ADHD」になったり、「変わってる」と言われていた子は「発達障害」とされたり、「おとこおんな」が「性同一性障害」と言われたりと、様々な状態に名付けが行われるようになった、昨今。最近であれば、様々なことに対して過剰に繊細な人が「HSP」と言われるようにもなり、名付けの可能性の幅は広がっています。
 そういった言葉が世に出ると、
「私も発達障害でした」
「私はHSPです」
 と声を上げる人が、次々と出てきます。名前がつけられたことによって、
「私はHSP(なりADHDなり)なので、普通の人とは違っているのです」
 と周囲の人に理解してもらうことができるようになってよかった、という話もよく聞くもの。
 性の部分においても、ヘテロセクシュアルとホモセクシュアルだけでなく、性自認と性的指向の掛け合わせによって細かく分類され、それぞれに名前がつけられているのであり、私などはもうそれらの名を覚えることができません。そして、細かなジャンルに属する人に対して正しく対応できる自信も、全くないのです。
 その手の名付けとは、陣地づくりのようなものなのでしょう。多様性が重視される世の中において、
「世の中には、こういう人もいるのです」
 と、陣地をつくって旗を立てることが名付け行為であり、
「私もそうです」
 と名乗りをあげることによって、人はその陣地に入植することになる。
 様々な旗があちらこちらに立てられることによって、「普通の人」は次第に、自分達の陣地が減少してきた感覚を抱くようになってきました。昔は、「普通の人」の国において漫然と生きていればよかったのが、今や「普通の人」がさほど普通ではなくなってきたし、何だか普通国の住人であることがダサい感じにもなってきた。同時に、
「普通の人なのだから、ケアとかは別に要らないでしょ?」
 ということで放置されがちになって、寂しくもある……。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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