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「生きづらさ」のわかりづらさ

 そんな中、色々と悩みはあって毎日薄暗い気持ちで過ごしているのだが、かといってなんとか障害でもないし、なんとかセクシュアルでもないし、なんとかフォビアでもない。ということで自分にぴったりの陣地を見つけられない人に用意された、かなり広大な駆け込み寺のような場所をつくる言葉が、「生きづらさ」なのではないかと私は思います。
「生きづらさ」ブームの前、「居場所がない」という言い方が流行りましたが、自分の居場所がない、と思っている人に居場所を提供したのがまさに、「生きづらさの国」だったのではないか。
 生きづらいかどうかは、誰かから判定されるものではなく自称ですので、手をあげれば誰しも、「生きづらさの国」には入ることができます。そして、
「生きづらいんです」
 との告白は一種のSOSですから、優しい人から手を差し伸べてもらうこともできる。人口減少が進む日本において、希少で傷つきやすい若者達を大切に育てるためのセイフティネットとして、「生きづらい」という言葉は機能しているのです。
 生きづらさという言葉の広がりは政府も察知しているようで、前厚生労働大臣は、
「生きづらさを感じている方々へ」
 とのメッセージを出してもいました。新型コロナの影響もあって、今後についての不安を抱えている人も多かろう。一人で悩みを抱え込まずに周囲の人に相談したり、相談相手がいなかったり、知り合いには話しづらいという場合には、色々な窓口もありますよ。……ということで、メッセージにおいては各種の相談窓口を紹介してもいるのでした。
 厚生労働省の考える「生きづらさ」の中には、経済的苦境等も入っているようですので、国としては単に若者の心のモヤモヤだけではなく、もっと広義の、国民全体の悩み・苦しみをカバーする言葉として「生きづらさ」を捉えているようでした。国としては「生きづらさ」という流行り言葉をコロナ時代に合わせて利用しているように見えますが、今や「生きづらさ」ブームは国も認めるところとなっている、と言うこともできましょう。
 このメッセージでは、「生きづらさ」の原因は各種の「悩み」である、もしくは「生きづらさ」とは「悩み」だ、と読むことができます。私の、「『生きづらい』とは、昔で言うところの『悩む』ということではないか」という推測も当たらずとも遠からず、なのかもしれません。が、狭義の「生きづらさ」、つまりは若者の間で流行っている「生きづらさ」は「悩み」とは根本的に異なる部分があって、それが「原因をどこに置くか」ということなのです。
 悩みを持つ人はかつて、その原因は自分にあると認識していました。悩みを解消するためには、自分で頑張って状況を変えなくてはならない。……と、実際に頑張るかどうかは別にして、人々は思っていた。
 対して「生きづらさ」という言葉からは、他人や社会のあり方など、生きづらさの原因は他者にある、とするムードが漂ってきます。たとえばバファリンを飲む時にいつもむせてしまう人が、
「バファリンって、飲み込みづらい」
 と言った時、その人は「飲み込みづらいのはバファリンの錠剤が大きすぎるせいだ」という意識なのであり、「自分の食道が狭すぎる」とか「自分の嚥下えんげ能力が今ひとつ」とは思っていない。飲み込みづらいのはバファリンのせい、なのです。
 同じように、
「なんかこの小説、読みづらい」
 と言ったならば、作家のストーリー構成能力に難があるためであって、自分の読解力のせいではなくなるし、
「この靴、履きづらい」
 と言う時に悪者とされるのは靴メーカーで、自分の足が甲高だん広であることは、棚にあげられるのです。
 

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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