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村井理子「犬と本とごはんがあれば 湖畔の読書時間」
実兄の孤独死をめぐる顚末を、怒り、哀しみ、そして、ほんの少しのユーモアで描いた話題作『兄の終い』のほか、『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『メイドの手帖』など、数多くの注目翻訳作品を手掛ける翻訳家の村井さんが琵琶湖畔に暮らして十数年。
夫、10代の双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリー君と賑やかな毎日を送っています。
公私ともに古今東西の書籍にふれる村井さんは、日々何を読み、何を思い、どう暮らしているのでしょうか。
人気翻訳家によるエッセイ+読書案内。

翻訳家というミステリアスな職業—ギリギリの生き方をしてまでなぜ翻訳をするのか

 私のように、業界の片隅で息を殺すようにして存在している翻訳者でも、年に一度ぐらいは、「どうしたら翻訳家になれるでしょうか」と聞かれることがある。返答にとても困る。いつも、「ええとそうですねえ……翻訳学校に行かれるとか、有名な翻訳家の先生のお弟子さんになるとかでしょうか……」と、しどろもどろに答えている。申し訳ないことだと思う。しかし、私にもこればかりはわからない。返答のしようがないのだ。
 
 翻訳家の友人に聞くと、「あたしは翻訳学校に行った」とか、「大学のサークルの先輩の紹介で」だとか、「たまたま」といった答えが返ってくることが多い。年に数回、翻訳コンテストが開催されているのは知っている。そこで優秀な成績を取ると、デビューできるといった話も聞く。しかし、「これをすれば必ず翻訳家になれる」とか「この資格を取れば一発デビュー!」なんて話は聞いたことがないし、何をすれば翻訳家になれるのかという問いへの明確な答えは、私自身も耳にしたことがないのだ。私に関して言えば、一冊の本を出版したことがきっかけだった。それも、翻訳書ではなくジョーク本である。そんなこんなで、書籍翻訳家への道というのは、本当にミステリアスなのである。

 ミステリアスなのはそれだけではない。翻訳家自身も、相当なくせ者が多い(褒めている)。私が知っている(お会いし、会話したことがある)翻訳家はそれぞれが、強いキャラクターを持っている。あまり出会うことがないタイプの人たちだ(全力で褒めている)。そして、それぞれが、大変なこだわりやで、ストイックで、しつこくて、ふざけていて、喧嘩っ早くて、チャーミングで、そして心が広いのである。ミステリアスで閉鎖的だと思われる翻訳の世界の住人たちが、実は他のどの世界の住人に比べても、オープンで寛容で自由なのだ。私のような人間を、両手を広げて無条件で迎えてくれたのは、今まで彼らだけだったように思う。

 そして、そのミステリアスな書籍翻訳の世界で、もっともミステリアスなのはきっと、その収入だろう。「実際に、書籍翻訳だけで食っていけるの?」とストレートに聞かれた場合、私のほうもストレートに「無理!」と答えている。これはあくまで私の場合であって、書籍翻訳一本で生計を立てることが出来ている翻訳家は当然存在している。あまり数は多くないかもしれないが、間違いなく、ヒットメーカーは存在する。しかし、私の場合はそのレベルに達することができていないし、これから先も、達することはできないかもしれない。大変厳しい世界だと思う。

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村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な連載に「村井さんちの生活」(新潮社「Webでも考える人」)、「犬(きみ)がいるから」(亜紀書房「あき地」)。主な著書に『兄の終い』(CCCメディアハウス)、『村井さんちの生活』(新潮社)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)など。主な訳書に『サカナ・レッスン』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』など。
家族の実話を描く書き下ろしのエッセイ『全員悪人』が4月27日に発売される。

ツイッター:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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