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「生きづらさ」のわかりづらさ

 しかし少子化が進むと、子供は貴重品となり、子育ての丁寧化が進みました。若者が何か悩みを抱くと、大人達がすぐに駆け寄って「ケア」というものをしてくれたり、
「あなたは悩まなくていいし、自分を変える必要もない。そのままでいいんだよ」
 と、声をかけてくれるようになったのです。
 ネット社会となり、若者達がネット上に悩みを吐露しやすくなったことも、「生きづらさ」ブームには関係していましょう。かつては若者達の間で解決されたり、時には解決することができず暴発することもあった若者の悩みや鬱屈は、ネットで公開されるようになったことによって、大人が手を差し伸べて「ケア」すべきことになったのです。
「ケア」という言葉についても、私は今ひとつその実態を理解していません。何かをカタカナ語で言われると、わかっていないのにわかったつもりになることがしばしばありますが、「ケア」にしてもそうなのです。
 何かを助けたり面倒をみたり気にかけたり、というイメージが「ケア」にはありますが、それは生きるか死ぬかという時に使う言葉では、なさそうです。「人命のケア」とは言いませんが、「毛穴のケア」「キューティクルのケア」など、「何もしなくても今すぐどうこうということはないが、大切に扱った方が長い目で見た時に良い」という対象に施すのが「ケア」なのか。すなわち、「治療」や「救助」まではいかない、その手前にある手助け全般が「ケア」という印象です。
 悩みやつらさを抱える人に対して、「私はあなたの悩みやつらさを見ていますよ」という姿勢を示すことが、ケアのベースにはあります。「ケア」が示す範囲が幅広くなっている中で、人々の悩みやつらさを分類して、分けられたジャンルに名付けをすることも、「ケア」の一環なのではないかと私は思うのでした。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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