よみタイ

運動ができない人が頭の中で考えていること 第7話 マイムマイムが踊れない

 当然、“先生に怒られて泣いちゃった人”はクラスでもちょっと腫れ物扱いである。泣くことは目のお漏らしみたいなものなので、気の毒がって慰められるかバカにされて笑われるか、そっと目を伏せられるかのどれかだ。体育後の教室はワイワイと賑やかだが、どことなく私だけには触れまいと各々がお喋りや遊びに無理して夢中になっているように見え、自分の存在自体が気まずさの権化となったようで悲しかった。
 無言のまま席に着くと、隣の席の男子が私に声をかけたので振り向くと、後ろの黒板に棒人間を描きながら「おい! これお前、こっち先生、先生に怒られながら泣いてるとこ!」と言いながらバカにしたように笑っていた。一瞬戸惑ったが、おとなしい優等生タイプのキャラクターでない子供は野生の教室をサバイブする宿命にある。男子にバカにされた場合は応戦しなければならないので、私は怒った顔と声色を演出しながら一生懸命言い返した。しかし、顔は怒りながらも内心は予想外の好機にホッとしたことを覚えている。男子にバカにされたおかげで、目のお漏らしは可哀想で気の毒な一幕ではなくバカバカしい笑い話にすり替わったのだ。心なしか、小学校3年生の割に男子のバカにした口調の中にも励ましがこもっているように思え、実はとても感謝していた。
 自分の中では必死で苦しい出来事も、客観的に見ると滑稽でばかばかしいというのはちょっとした救いである。もしかすると、客観的に見れば滑稽と思う方が精神的に苦しく感じる人が多いのかもしれないが、こちとら運動神経が壊滅的なために常に鈍臭い状況を生み出してしまう、かつ、容姿もいまひとつパッとしない子供で、ともかく取り柄がないのだ。そういう子供にとって自分自身が卑小な存在だという現実をそのまま丸呑みするより、傍目にはただ滑稽に見えていると思う方向に目を逸らす方が、嫌な自分を受け入れる・または改善するよりも易しかった。

 ところで、運動苦手っ子にとって学校はそもそも苦行である。週に何度も行われる体育のたびに恥を上塗りしつづけ、みんなが当たり前にできることができず、クラスの盛り上げ上手な男子によるデリカシーを完全に排除した揶揄は困ったことに面白く、うっかりつられて女子も失笑しだす状況に嫌というほど直面するのだ。男子は明らかにバカにしてやろうという意気込みがあるが、女子の失笑は目の前の出来事があまりに面白いがために、女の子には意地悪したくないと心がけているにもかかわらずつい笑ってしまう、つまり素の笑いである。それを毎回味わう身としては、全く向いてないし楽しくない運動を一生懸命頑張って鈍臭さを克服するよりも(自分の内面ではたくさんの感情が渦巻いて必死に葛藤しているとしても)、必死な表情に反してとび箱に股をぶつけるとか、困り顔で鼻息荒く足をぴょこぴょこさせて逆上がりを真似ているとか、シチュエーションもあいまって顔芸が際立ちもはやコメディ、と一旦客観視した方が泣かずに済むという発見があった。
 少なくとも10代の間はこんな状況が続くため、全然上手にできない運動について真剣に向き合うよりマシに思えた。だいたい、運動能力を人並み程度に引き上げるために遊びの時間・寝る時間を減らして特訓するなど納得がいかない。下手なりに好きとか楽しいならまだしも、全然好きじゃないのに、仮に毎日何時間も練習して「人並み」にすらならなかった場合、顔が変わるくらい泣くだろう。それに人並み目指して頑張りましょうという目標設定も、クラスのみんなより「低い子」とお墨付きを貰いに行くようで子供の自分には受け入れられなかった。
 とはいえ、あえて俯瞰して滑稽だと思う方がまだマシだと自覚的になるのはもっと大人になってからである。そして、その選択を続けると心に負荷がかかると気づくのはさらにもっと後になる。当時は、同い年のみんなができることができない、自分が情けない、バカにされて辛い、何度もビリをとってみんなの前で「落ちこぼれ」を突きつけられ、胸を張って堂々としたくても「自分はダセエ」という真実のほうが際立っておりダセエ自分と折り合いをつける方法もわからず辛い……が、ここで泣くのはもっとマズいので、泣かないために心の中で自分を小馬鹿にするという方法にたどり着いたように思う。

1 2 3

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント

新刊紹介

冬野梅子

漫画家。2019年『マッチングアプリで会った人だろ!』で 「清野とおるエッセイ漫画大賞」期待賞を受賞。その後『普通の人でいいのに!』(モーニング月例賞2020年5月期奨励賞受賞作)が公開されるやいなや、あまりにもリアルな自意識描写がTwitterを中心に話題となり、一大論争を巻き起こした。2022年7月に、派遣社員・菊池あみ子の生き地獄を描いた『まじめな会社員』(講談社)全4巻が完結。
講談社のマンガWEBコミックDAYSにて「スルーロマンス」連載中。

Twitter @umek3o

週間ランキング 今読まれているホットな記事