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子どもの涙が通用しない事態もあることを知った。 第2話 習い事ドミノ

それは、まだ別のどこかのことは知らない、遠い北の地での暮らしでした――

『まじめな会社員』で知られる漫画家・冬野梅子が、日照量の少ない半生を振り返り、地方と東京のリアルライフを綴るエッセイ。
前回明かされた地獄の体操教室に続く、子供時代の習い事をめぐる親との攻防について。

(文・イラスト/冬野梅子)

第2話 習い事ドミノ

 幼稚園に入ってすぐ、気がつくと謎のスポーツクラブに参加していた。
 当時の記憶はあまりないが、「もう辞めたい」と親に泣きついた出来事だけははっきりと覚えている。

 スポーツクラブはキビキビとした、笑顔の少ない厳しそうな若い男の先生が担当していた。ジャージを着て、溌剌はつらつとした声は他の優しい女の先生と違いちょっと怖い印象を与えたが、「子供だからといって甘やかさない姿勢がいい」と母が褒めていた記憶がある。
 そんな厳しい男の先生に命じられ、ある日のスポーツクラブでは障害物競争のようなものをさせられた。
 20人ほどの園児たちが一斉に網をくぐり、木のブロックを上りアーチ状のはしごを渡りゴールにたどり着く。
 私も夢中でスタートし、網をくぐり木のブロックを上りアーチ状のはしごにたどり着いた。たどり着いたのはいいが、アーチ状のはしごは想像していたより高い。それに気づいてしまったが最後、私は下りられなくなってしまった。
 私の後から少し時間を空けてスタートした園児たちも、もうゴールに着いて体育座りをして見守っている。
 はしごに四つ這いになる形でなんとか足を下ろそうとするものの、はしごの隙間から足を滑らし頭から真っ逆さまに落ちそうで怖い。
 怖い怖い怖い、脳内は怖い一色でパニックになり「怖い! 下りれない!」と泣き出してしまう。ああ、もう、これはどこかで見た光景と同じじゃないか。
 肋木から下りられなくなったあの時と同様、泣きながら縋るような目で先生を見つめてみる。子供といえど幼稚園児にもなれば、わんわん泣き叫ぶ子供を大人がほうっておかないことは知っている。私は先生がだっこして下ろしてくれることを期待して、しばらく泣き叫んだ。

 しかしながら、先生は「泣いてもダメ!」と声を張り上げ腕を組み仁王立ちでこちらを睨んでいる。
 怖い……こちらも違う意味で怖い……。怒鳴られてびっくりしたのとはしごが怖いのとで私は余計に泣き出し、同時に「さあもうこれでいいだろう、さっさと私を抱えて下ろしてくれ、もう終わりにしよう」とも思っていた。
 しかし先生は「自分で下りなさい!」とさらに厳しい声で叫ぶだけで、私も生まれて初めて親以外の大人にこんなに怒鳴られ、ショックで黙り込んでしまう。
 親以外の大人っていうのは子供に甘いもんじゃないのかよ……そんなことを思いつつ、なおも粘って泣き叫び続けるがらちが明かない。
 そのため本当に自力で下りるしかなくなってしまった。
 恐る恐る足を踏み出し、しかし恨みがましい悲惨な泣き顔は忘れずに、なるべく先生に罪悪感を抱かせるよう心がけ、足を下に移動する。もういっそ、滑って転べば私の「下りれない」は立証されることになるが怪我をするほどの気概はないので、慎重に足を移動する。
 すると、無事地面に下り立ってしまった。
 無事下りられたということはいいことである。しかしこれでは「下りれない」が嘘になってしまう。泣き叫んだのが半ば演技の部分もあったがために、恥ずかしさも込み上げてきた。
 高い場所の恐怖と、怒鳴られたショックと、恥ずかしさで、迎えに来た母親に会ってすぐ「もうスポーツクラブ辞めたい!」と泣きつくのであった。

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冬野梅子

漫画家。2019年『マッチングアプリで会った人だろ!』で 「清野とおるエッセイ漫画大賞」期待賞を受賞。その後『普通の人でいいのに!』(モーニング月例賞2020年5月期奨励賞受賞作)が公開されるやいなや、あまりにもリアルな自意識描写がTwitterを中心に話題となり、一大論争を巻き起こした。2022年7月に、派遣社員・菊池あみ子の生き地獄を描いた『まじめな会社員』(講談社)全4巻が完結。
講談社のマンガWEBコミックDAYSにて「スルーロマンス」連載中。

Twitter @umek3o

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