2023.1.17
何か文句があるんですか! 私の酒が飲めないっていうんですか! 第7回 働き続ける正月からの解放
もう一度家族の正月を過ごそうを母に言われ…
そんな楽しい正月は、父が亡くなる前年まで続いた。父が亡くなってからは、一度も家族で正月を過ごしたことはない。兄は家を出たし、私も進学して家を離れていた。祖母は毎年年末になると、帰省しておいでと電話をかけてくれたが、母からはなんの連絡もなく、私が「お正月はどうするの?」と聞いても、曖昧な答えしか戻ってこなくなった。下宿先で、ひとりぼっちで寂しいけれど気楽な正月を過ごすことに慣れてしまうと、帰省する理由はますますなくなっていったし、母や兄に会いたいとも思わなくなった。当時、地方出身なのに帰省せず、一人で年を越す学生は私の周りには何人もいた。そんな学友たちで誘い合って年を越すようになると、当然そちらのほうが楽しかった。兄はふらりと私に会いに京都にやってくることがあったし、母も同じように、度々京都に恋人とやってきては、私に会っていた。だから、無理をして集まることもない。そんな気持ちでいた。
私がようやく四回生となった年の年末、今年こそは戻っておいで、いろいろあって大変だったけれど、もう一度家族の正月を過ごそうと母に言われ実家に戻ったが、そこにはひとり寂しくこたつに座る祖母しかいなかった。母は旅行に出てしまい、同じく母に召集されていた兄も一足先に戻ったものの、怒って帰ってしまったということだった。祖母は泣いて引き留めてくれたが、私も母への怒りを抑えきることができず、京都までとんぼ返りをした。私が過ごした実家での正月は、結局、父が亡くなる前年の十八歳のときが最後となった。
この時の母の年齢とちょうど同じぐらいになったのだが、今にして考えると、母のこの裏切りもまったく違ったものに思えてくる。迷惑ばかりかけ続ける息子と、思いやりの欠片も見せない娘。そんな二人の子どもに翻弄され、自分の母まで養いながら働き続けていた彼女からすれば、全てを忘れて好きな人と旅行に出ることは、魅力的な逃避行に思えたのではないか。無意識にやったことでもなく、約束を忘れていたわけでもないと思う。彼女は、すべてわかっていて、それでも旅行に行った。行かないという選択肢はなかった。薄暗い実家に一人、自分の母親を残したとしても、子どもたちが久しぶりに集まるとわかっていても、二人を徹底的に怒らせることになったとしても、彼女をそのとき生かし続けていたのは、家を離れることだった。私がそれまで信じ込んでいた、「母がなにより好きだった、料理を作り続ける正月」が、彼女が本当に望んでいたことかどうか、今となってはわからない。母から強烈なしっぺ返しをくらったあの正月から三十年が経過して、ようやく私は母の本音を理解できたような気がしている。
さて、今年の正月、少し面白いことが起きた。私たち家族は大晦日の夕方過ぎに夫の実家に行き、義父が準備してくれていたおせち料理を堪能した。近所の料亭に注文したという高級なもので、大変美味しかった。義母は少し表情に乏しく、あまり状況を把握できていないように見えたが、和やかに息子たちと会話する彼女は幸せそうでもあった。紆余曲折あったが、このようにして互いにストレスを感じることなく正月を迎えられるなんて、本当によかったわと思っていたのだが……。おせちを食べていた手を突然止めた義母が私に、「あなた、女の子も産みなさいよ」と言ったのだった。あまりのことに、私は大笑いしてしまった。いや、もう無理ですよ! 私のこと、何歳だと思ってるんですかと尋ねると義母は「三十五歳までなら産めるじゃないですか」と言ったのだった。義母が何を考えてそんなことを言い出したのか想像することもできないが、義母のこんな突拍子もない発言を、なんとなく懐かしくも思ったし、この呪いはどうやら消えそうにないと悟ったのだった。
それでも気分は晴れやかだ。母も義母も私も、働き続ける正月から解放されたのだから、それ以上おめでたいことはない。来年のお正月も私は楽しく過ごすつもりだ。そしてきっと義母も、しがらみの全てを捨て去って、気楽に過ごすことができるだろう。
*次回は2月21日(火)公開予定です。
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