2023.2.21
あなたの手に職をつけてあげます。手に職がなければ生きていけませんから 第8回 亡兄が保管していた四十五年前に母が描いた油絵
母親であること、妻であること、そして女性として生きていくということ。
『兄の終い』『全員悪人』『家族』がロングセラー、『本を読んだら散歩に行こう』も好評の村井理子さんが、実母と義母、ふたりの女性の人生を綴ります。
夫の実家が明示した結婚の条件
私が初めて夫の実家まで、夫の両親に会いに行った日、義母は外出中だった。ずいぶん前もって、会いに行くと伝えていたというのに、その日に限って外出中だった。これを書きながらじわじわと笑いがこみ上げてくるのだが、そんな感じの出会いだった。義母はその日、確か京都までお茶会に行っていた。きっと、わざと行ったに違いない。
私と夫が実家に到着すると、義父が義母の不在について申し訳なさそうな様子で待っていた。義父は人当たりのいい男性なので、笑顔で私を歓迎してくれたが、開口一番彼が言ったのは、私が義母の営んでいる習い事の教室にまずは生徒として参加し、そして将来的にそれを継ぐ気があるかどうかということだった。私は困ってしまった。そんな気は、これっぽっちもなかったからだ。一ミリもなかったからだ。
そう言えば夫は(当時はまだ夫ではなかったが)、つきあいはじめてから「うちのおふくろがちょっと難しくてさ~」とか「習い事の教室をやっていて、生徒さんが多いんや~」などなど、ちらちらと私に言うことがあった。私はそう聞くたび、「ふーん……で?」と対応していた。正直なところ、それがなに? 習い事の教室で生徒さんが多いなんてステキだね、最高のお母さんだね、超優秀だね……程度の感想しか持っていなかった。「それで、おふくろがもしかしたら、一緒にやろうって言うかもしれない。そのときは完全に無視していいから!」と言った。完全無視は得意なので、「了解!」とばかりに答えていたような記憶がある。もちろん、そんなに簡単に解放されるわけがないとは思っていたが、まさか大事になるとも考えていなかったのだ。しかし夫の両親に会いに実家に行った当日、義父はいきなり習い事の教室を継ぐ気はあるかと言い、義母はお茶会で京都だった。蓋を開けてみれば事情はまったく逆。逆と言うよりは地獄寄りな状況になっていた。
「お母さんの教室には生徒さんが二十人ぐらいはおるんや。そこで、あなたにも手伝ってもらいたいというのがお母さんのたっての希望で、それが結婚の条件ということやったけど、どうやろう」と義父は言った。
結婚の条件って言われましても……と戸惑う私。なんだこれ、めちゃくちゃ面倒くさい状況になってるんじゃないか、逃げるんなら今だなと思った。逃げるんだったら、そろそろ切り出して、ダッシュで車まで戻ればよい。タクシーを呼んでもいいな……と現実的に考えたあたりで、義母が戻ってきた。両手に荷物を抱え、着物姿で、息を切らせて私たちが集まっていた居間にやってきた。そして居間を通り過ぎて自室に真っ直ぐ入って行った。私に一瞥もくれず、である。