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いつ産むの? 仕事はいつ辞めるの? 何人産むの? 第6回 最大級のトラウマは出産

今は亡き実家の母、認知症が進行し要介護となった姑。
母親であること、妻であること、そして女性として生きていくということ。
『兄の終い』『全員悪人』『家族』がロングセラー、最新刊『本を読んだら散歩に行こう』も好評の村井理子さんが、実母と義母、ふたりの女性の人生を綴ります。

 母が私を産んだとき、彼女は三十二歳だった。兄と私は五歳離れているので、兄を産んだとき彼女は二十七歳。昭和三〇年代当時の女性の平均初婚年齢が二十四歳ぐらいだったようなので、ほぼ平均的な結婚・出産だったのではないだろうか。
 二十六歳のときに二十三歳の父と結婚し、翌年兄を出産。当時、父と母は埼玉県戸田市に住んでいた。その理由を母や父から直接聞いたことはなく、亡くなって初めて知ったのだが、親戚のひとりが言うには、母方の祖父に結婚を反対されたため、祖父から離れた土地での暮らしを決めたらしい。父の勤めていた会社もそのあたりにあったようだ。当時の写真を見てみると、木造のアパートで幼い兄と両親は仲良く暮らしていたように見える。
 写真のなかの母は明るい表情だし、まだあどけなさの残る父も柔らかな表情だ。後年、あそこまでしかめっ面になるまでに一体なにがあったのかと思わないでもない。そしてなにより、二人とも本当に若い。なかなかのナイスカップルだし、年老いた頑固者の親の束縛から逃れた暮らしは楽しかったのではないかと思う。母にとっては初めて故郷から離れて暮らす経験だし、そのうえかわいい長男が生まれていた。幸せの絶頂期だったかもしれないと思う。だが、私が物心ついて以降、母が結婚生活や育児に幸せを感じていたかどうかは疑わしい。せめて川口では楽しい日々を過ごしていてくれればと願うのだが、親戚の話をまとめると、両親は兄の育児に相当苦労していたようだった。
 とにかく、兄は寝ない子どもだったらしい。古い記憶を辿っても、私の中に残る兄の姿は、ただただハイパーアクティブな様子で、それを追い回す母と怒る父という構図だ。兄は外に出れば何かを壊し、家のなかではタンスの上から飛び降り、赤ん坊である私の真横に着地するなど、危ないことは何から何までやっていたそうだ。そのうえ、まったく寝ない。自分が子どもを育てる身となって、その苦労が想像できる。そんな日々のなかで、私を授かった。最初、お腹が大きいから双子かもしれないねと医師に言われ、父も母も大喜びしたそうだ。性別は生まれるまでわからなかった。当時としてはそれが普通だったのかもしれない。
 母は臨月を迎え入院したらしいが、父は母を一度も見舞わなかったと母は何度も私に言っていた。妊娠・出産にまつわる恨みは墓場までとはよく言うが、見舞いにもやってこない父の無責任さと、「女の子が生まれたよ」と電話をしたとき、「なんだ、女か」と言った無神経さは、まさに晩年になるまで母のなかに恨みとして残っていたようだった。なぜわかるかというと、私はその話をかなり長期間にわたって聞かされていたからだ。

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村井理子

翻訳家、エッセイスト。1970年静岡県生まれ。琵琶湖畔に、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』(CCCメディアハウス)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』(亜紀書房)、『村井さんちの生活』(新潮社)、 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論新社)、『本を読んだら散歩に行こう』(集英社)、『ふたご母戦記』(朝日新聞出版)など。主な訳書に『サカナ・レッスン』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『黄金州の殺人鬼』『メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語』『エデュケーション 大学は私の人生を変えた』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』など。



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