2023.1.17
何か文句があるんですか! 私の酒が飲めないっていうんですか! 第7回 働き続ける正月からの解放
実母が作った大量のおせち料理が並ぶ元旦の食卓
私が子どもの頃、正月はこのうえなく特別な、家族で過ごす大切な時間だった。このときだけは、家を空けがちだった父も家にいたし、いつもは鉄砲玉のようにどこに行くかわからない兄もちゃんと家にいた。母は年末近くになると漁港の物品販売所やスーパーに行って、大量の食材を買い求めた。港町には、安くて美味しい魚介類は豊富にあった。母はそんな食材を大胆に使って、大晦日の朝から様々な料理を大量に作っていた。母は料理がとても得意だったし、私も兄も父も、彼女の作るメニューが大好きだった。母は自分の料理で家族をつなぎ止めようとするかのように、正月を迎える私たちのために、手料理を次々と作っていった。何種類も、大量に。
昼過ぎになると、空の重箱を持った知人や親戚が何人も家にやってきた。母の作った大量のおせち料理はダイニングテーブルにところ狭しと並べられていた。重箱片手に家にやってきた人たちは、挨拶もそこそこに、思い思いに母の手作りのおせち料理を菜箸を使って重箱に詰め、母にお礼のお菓子を手渡したり、酒瓶を置いて帰ったりした。料理を喜んでもらえることに、母はやりがいを感じていたと思う。これが友人知人に対する、一年の恩返しだとも言っていた。母が働き続けるキッチンで、祖母は朝から寿司を握っていた。魚介類が豊富にある土地だからこそ、各家庭にオリジナルの握り寿司や巻き寿司があり、それを作るのは年寄りの役目だった。母も祖母もこの大晦日の行事が好きだったと思う。私も家族で過ごす大晦日と正月が、どんな行事よりも楽しみだった。
こたつを置いた居間に一人、また一人と親戚や知人が集まってくる。母の料理がようやく終わる頃には、紅白歌合戦が始まっていた。父も兄も母も祖母も、大晦日は誰もが上機嫌で、家のなかが幸せな雰囲気に包まれていた。私も、朝から浮き立って、キッチンに立つ母にまとわりついては叱られていた。人が集まってくる年末が、誰もが幸せそうな正月が、私は大好きだった。誰もが笑顔だった。
元旦、目を覚ますと枕元には必ず新しい衣類と下着が一式揃えられていた。兄と私は大喜びで着替えて、そして居間へと急いだ。父と母がお年玉を用意してくれているからだった。兄と一緒に並んで座り、両親と祖母に元旦の挨拶をして、お年玉をもらった。兄は一年で一番好きなのはお年玉をもらえるお正月だよといつも言っていた。元旦は大きな寸胴鍋一杯に母が作ったお雑煮を食べた。お雑煮やおせち料理のほかにも、お菓子は豊富に用意されていたし、ジュース、ビール、日本酒、ワインなど、ありとあらゆる飲み物が冷蔵庫に詰め込まれていた。一年で一番楽しくて、贅沢をする日。それがわが家のお正月だった。
昼前になると、両親の店で働く従業員の人たちが年始の挨拶にやってきて、一人、また一人と居間に上がり込んでは母の作った料理を食べながら、ビールを飲んで、昼間からへべれけに酔っていた。私と兄はそんな酔っ払いの人たちからいくつもお年玉をもらい、その都度兄の部屋に行き、二人でいそいそと中身を数えた。午後、大人たちが酔っ払って寝てしまうと、もらったばかりのお年玉を握りしめて駅前のおもちゃ屋に行く。兄はプラモデルと塗料をたくさん買い、私は大好きなキャラクターグッズをいくつも買った。元日の町はとても静かで、車は一台も走っておらず、いつもと同じ駅前通りのはずなのに、まるで異国の地に来たような気持ちがしたものだった。
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