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90年代、ドラマ「おしん」で親しみをもっていた日本へ、スーツケースひとつで降り立ったイラン人のレザー(第9回 前編)

 私はそのころ、大学生だった。まだバブル景気の余韻があり、日本のあちこちで、製造業や建設業、特に危険できつい仕事で深刻な人手不足があるという新聞記事をよく読んだ。それに、上野公園にイラン人が多く集まっているというニュースを見た記憶もある。なぜそんなにイラン人の存在感が増したかというと、当時は日本とイランの間には相互に査証(ビザ)免除の取り決めがあったからだ。イラン・イラク戦争の後、仕事を求めてイランを出る若者たちが増え、働き先として選ばれたのが、欧米や日本だった。  
 イラン人は1992年にビザ免除の制度がなくなるまでは、短期滞在者として比較的簡単に日本に入ることができた。日本は外国人労働者の受け入れをしていないという建前があった。けれども実際は、多くの外国人の若者たちが日本のさまざまな職場で働いていた。レザーもまさに、上野公園で情報収集をして、日本の経済を支えた一人だったのだ。

「危険で、きつい仕事だったんでしょうね」と私は尋ねた。
「そう」とレザーは答えた。
「でもさ、ボスはすっごくいい人だった。小指がなかったけど……。ボスのボスもまた、いい人でね。やっぱり小指がなかった。きっと昔ヤクザだったんだね。でもいつも笑ってて。『バカよ』なんて日本語で言われることもあったけど、僕が何か間違ったことをしても怒らないで失敗を直してくれて。とても気持ちのいい人たちだった。毎朝、真新しいゴムの長手袋と長靴を支給してくれてね、安全な作業着も。一緒に働く同僚もフレンドリーで、よくジョークを言って笑っていたし、日本語が分からない自分にも身振り手振りでいろんなことを教えてくれた。毎週末、休日には、そのボスや同僚が『ちょっと着替えておいでよ。今から遊びに行こう』って誘ってくれて。みんなでカラオケに行ったり、飲みに行ったりしたんだ。ボスの家に招待されて、奥さんがいろいろな日本の料理を作ってくれて、それを食べることもあったし。とても親切だったね」
 カラオケで何を自分が歌っていたのかもう覚えていないけれど、最初はメロディーだけを口ずさみ、そのうち誰かが歌詞をアルファベットで書いてくれたのだという。レザーが話す日本での生活は、仕事がきつかったということよりも、日本人の同僚たちと過ごした楽しい時間の話が多いので、親切な日本の社長や同僚に出会えてよかったと、ホッとした気持ちになる。

 レザーはそこで2年働き、次に建築ブロックを作っている会社に移った。ここでも、日本人のボスや同僚は親切だったという。給料は上がったが、セメント袋を運んだりときつさも増した。半年ぐらい経ったころ、レザーは運転していたリフトが横転して、そのはずみで5トンのリフトの下敷きになってしまう事故に遭う。同僚がすぐに別のリフトでレザーを助け出し、救急車を呼んで一命をとりとめた。けれど全身を6か所も骨折する重傷を負い、何か月も入院することになった。
 不幸中の幸いというべきか、レザーの病院代は会社がすべて払ってくれた。またその後の給料も支払われたという。仕事中のけがなので当たり前ではあるものの、外国人労働者が仕事中にけがをしても、病院代を払うどころかクビにするようなケースを以前取材したこともあったので、ひどいけがをしたことはとても不運だったけれど、35年前にレザーが働いていた日本の職場が誠実な対応をしてくれてよかったと、私は心から思った。

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 きつい現場で働けなくなったレザーは次に、またイラン人の知り合いの紹介で神奈川県の食肉加工業者で働くことに。(それにしても、途切れることなく次々に仕事が紹介されていくレザーの話を聞いているだけで、当時の日本がどのぐらい人手不足だったのかは想像ができる)
 彼は鶏肉を切り、うなぎをさばき、ときにうなぎを焼いていたそうだ。ここは早朝から夜遅くまで働かなければならず、疲れてしまった。でも、ここでもレザーが出会った日本人のボスや同僚たちはみんな親切で優しかったのだという。
「自分が出会った日本人はみんな親切。だから今でも日本人のことをよく思っている」
 
 何か別の仕事をしようと考えたレザーは、知り合いから「日本の女の人と一緒にお酒を飲んで、相手が気に入ったら一緒に夜出かけるという仕事がある」と誘われたこともある。ホストのような仕事だろうか。「稼げるよ」と言われたけれど嫌だったので断った。テレホンカードの偽造に手を出している人の話も聞いた。「お金になるよ、お前もやろうよ」と言われたけどそれも断った。
「滞在超過(オーバーステイ)の状態ではあったけれど、違法なことは絶対にしないと決めていたから」
 それで、今度は東京に住んで、これまた紹介されたカメラ工場で、カメラの部品を組み立てる仕事についた。レザーは勤勉な上に手先が器用だったのか、すぐに仕事を覚えた。
「2か月で、すごく早くできるようになった。普通の人が100作るところを250ぐらいできるようになって。しかも歩合制だったので、お金もたまってきた。そのころは池袋に住んで、同じぐらいの年齢の仲のいい友達もできて、休日には海に行ったり、ディスコに行ったりしていた。人生がとてもうまく回っている感じで、このまま日本で暮らしていけるかもと思ったりした」
 でもある日、そんなレザーの日本での日々が急転する。

(連載の文中の肩書や組織、値段や為替レートなどはそれぞれ2026年時点のものです)

音楽はなくシンプルなレザーの理容室 撮影:堀内京子
音楽はなくシンプルなレザーの理容室 撮影:堀内京子

第9回後編は2026年9/29(火)公開予定です。

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堀内京子

ほりうち・きょうこ
ライター。1997年から2023年まで新聞記者。退職し、現在は二人の子どもとヘルシンキに滞在。著書『PTAモヤモヤの正体』(筑摩選書)、共著に『徹底検証 日本の右傾化』(筑摩選書)『まぼろしの「日本的家族」』(青弓社) 『ルポ税金地獄』(文春新書)、朝日新聞「わたしが日本を出た理由」取材班として『ルポ若者流出』(朝日新聞出版)がある。

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