2026.6.9
突然消息を絶ったチェチェン人のクラスメイトが残した「本当の言葉」を探して(第7回 後編)
100年の歴史をもつこの場所で、元新聞記者の堀内京子さんはフィンランド語の教室に通いはじめました。
そこで出会ったのは、いろいろな国からそれぞれの理由で、この街へ来ることになったクラスメイトたち。
生まれ育った国を出る決断の背景には、どのような物語があるのでしょうか。
「ほぼ全員が(フィンランドの)外国人」という教室で交差した、ひとりひとりのライフヒストリーを紹介するルポ連載です。
前回に続き、チェチェン共和国からやってきた男性・ウマル(仮名)のお話です。
第7回 チェチェン人のウマル 後編
私は、連絡が取れなくなったウマルにつながる手がかりを求めて、ヘルシンキ東部の地域・Kまで出かけた。4月でも路肩に集められた雪は真っ白で、その上から黙々と雪が降り続く日だった。
着いてから、そこはロシア人のニコライが住んでいる地域だったことを思い出した。彼は愛煙家で、休憩中にはマイナス15度でも建物の外に出てたばこを吸っていたが、そういえば「うちのアパートのベランダではタバコを吸っても住民は何も言わない」と言っていた。ベランダでも禁煙というアパートが多いので、珍しいなと思って記憶に残っていた。
地下鉄の駅前には、シリア料理、トルコ料理、ケバブ屋、ピザ、韓国料理、フィリピン料理といった店が並んでいる。モスクが駅前に2つあると聞いていたので、期待を込めて両方を訪ねたが、どちらも閉まっていた。次に、バスで公民館のようなところを訪ねてチェチェン関連の団体について聞いたが、わかりそうな人が今日はお休みだからメッセージを残してと言われた。
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手がかりが進まないまま駅前に戻った。4月でも粉雪が舞い体が冷えてきたので、私は駅前の公共プールに行った。フィンランドのプールにはだいたいサウナが、2,3種類ついている。サウナで温まって更衣室に出てみると、「買ってきたシャンプーがなくなっている」と困っているイラク人のおばあさんが話しかけてきて、おしゃべりが始まった。教室以外ではフィンランド語を話す機会があまりない自分に、ウマルがくれた課外授業のようだった。そして、ずっとうまくならないと思っていた自分のフィンランド語がいつの間にか、少し上達していたことを知った。
おばあさんに「人探しをしていて、モスクに行こうとしたけど閉まってたんです」というと、親切に私を連れていってくれた。このモスクが使われていなかったわけではなく、私が午前中に訪れたときはまだ閉まっていただけだったようだ。中の方には人もいる。ちょうど、モスクに入ろうとしていた若い男性2人に、おばあさんは私を助けるように頼んでくれた。そのうちの1人のソマリア人の男性は、
「このモスクにはソマリア人のウマルはたくさんいるけど、チェチェン人のウマルは1人しかいないよ。背の高い人でしょう。今からお祈りに行くけど、お祈りが終わったら中にいる人たちに聞いてみてあげる」
と言ってくれた。その隣でこれまた、とても親切そうに話を聞いていた友だちはソマリランド出身だという。
「え! ソマリランドの出身なの? 首都のハルゲイサ?」と言うと、相手も飛びあがるように喜んで「そうだよ! ハルゲイサ出身だ。行ったことあるの?」と言われた。行ったことはない。高野秀行さんの『謎の独立国家ソマリランド』(集英社文庫)を読んでいただけなのに、まるで世界を歩き回っているバックパッカーのような会話ができた。
もしウマルがKによく来るなら、このモスクに来ている確率は高いと思った。実際、ソマリランド出身の彼は先週、このモスクでチェチェン人のウマルに会ったのだという。それが私の探しているウマルだったらいいな。連絡先を交換して、もしウマルに会ったら連絡をもらえるよう頼んだ。
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