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「本当のことを話さなくてもいい」とフィンランド語クラスで先生が言った理由(第7回 前編)

フィンランドの首都・ヘルシンキにある「ヘルシンキ労働者学校」。
100年の歴史をもつこの場所で、元新聞記者の堀内京子さんはフィンランド語の教室に通いはじめました。
そこで出会ったのは、いろいろな国からそれぞれの理由で、この街へ来ることになったクラスメイトたち。
生まれ育った国を出る決断の背景には、どのような物語があるのでしょうか。
「ほぼ全員が(フィンランドの)外国人」という教室で交差した、ひとりひとりのライフヒストリーを紹介するルポ連載です。
今回は、チェチェン共和国からやってきた男性・ウマル(仮名)のお話です。

第7回 チェチェン人のウマル 前編

 フィンランド語教室は1クラス25人ほどだ。先生たちがすごいと思うのは、背景も年齢も違う生徒たちをうまくまとめて、授業をしていることだ。
 特に初級クラスでは自分のことを話したり、相手のことを聞いたりすることが多い。ペアや数人のグループで、習った文章や文法を使ってお互いに質問するからだ。先生たちはいつも、同じペアや同じグループ、同じ国同士で固まらないように工夫して振り分ける。
 最初のうちは、ペアだと言われた人を探し、席を移動して、知らない人と話し始める会話練習はめんどくさいなと思った。けれどお互いにぎこちない言葉で話していると、打ち解けるのも早い。練習が終わるときには、教室のあちこちで「ありがとう」という明るい声がする。その繰り返しにも慣れてきた。私は人の名前を覚えるのは得意ではなくて、日本語を読める人が少ないのをいいことに、その日同じグループになった人たちの名前をテキストの余白にメモした。名前をちゃんと覚えられると自分も気持ちがいい。ウクライナで徴兵を逃れてフィンランドに来たアンドレイが言った通り、フィンランド語クラスで学んでいる一人ひとりにはそれぞれにストーリーがあり、それぞれが一冊の本のようだった。
 ユリアという先生はよく、会話練習に入る前に「話したくないことは言わなくていいです。質問に答えるとき、本当のことじゃなくて想像で話してもいいです」という一言を添えていた。例えばLGBTだというクラスメイトはいつも複数人いたし、オープンにしていない人にとっても安心だ。戦争中の国同士の人や、誰かの出身国で迫害されて逃れてきたという人もいた。私が小さな教室で一緒に勉強した中には、例えばロシア人とウクライナ人、中国人とウイグル人、トルコ人とトルコ系クルド人、そして、ロシア人とチェチェン人がいた。お互いにたまたまペアになって練習することはあったと思う。

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 そのユリアのクラスで、私はロシア南部のチェチェン共和国出身の男性に会った。ここではウマル(仮名)と呼ぶ。髪に白いものが混じっていたが、贅肉のない体つきで、長い脛は鋼のようだった。何かのスポーツ選手だったのかなと私は思っていた。初めて会話したとき私が日本から来たと答えると、人懐っこい笑顔で、
「サムライの国だね! 僕はチェチェン人で、僕たちもチェチェンの魂を持っている。サムライと同じなんだ」と言った。
 たまに投げかけられるこの「SAMURAI」のイメージには戸惑う。そのときちょうど真田広之主演の『SHOGUN 将軍』が話題で、Netflixで見ている人たちも何人かいたので、私はウマルもそれを見たのかなと思った。クールでポジティブな意味で使ってくれてはいるのだろうが、私には封建制や自己犠牲などのイメージが強く、サムライの時代だったら私はさぞ生きにくかっただろうと思うからだ。けれども私もまた、チェチェンの人に会ったこともないし、チェチェン戦争の断片的なイメージしかない。ウマルに、あらためて話を聞かせてもらえるかと聞くと、快諾してくれた。
 
 数日後、私たちは学校の2階にある、食堂の丸いテーブルに座った。彼にコーヒーでも買おうと思ったが、彼はいらないと言った。その日の午後は閑散としていて、私たちはフィンランド語か、込み入った話を伝えたいときはスマホの翻訳機能を使って話した。
 ウマルは、チェチェン共和国の首都グロズヌイで生まれた。両親や弟、妹たちなど家族11人で穏やかに暮らしていた。一家は山の近くの広い農場を持ち、トウモロコシなどを育て、牛を飼っていた。そこで働く人たちもいた。ウマルが15歳のとき、第1次チェチェン紛争が始まり、多くの犠牲者が出た。ウマルの母親や2人の叔母も空爆で亡くなった。彼は故郷を守るパルチザンを手伝うようになった。

「自分は、学校に6年間しか行けなかった。17歳で兵士になった」と彼は振り返った。「よくないけど、なっちゃったんだ」

 ウマルは私に、森の中で針金につけてあった爆発物で怪我をしたというふくらはぎの傷を見せた。病院に行けなかったから、森の中で破片を取り出さないといけなかったという。
「仲間が手りゅう弾を投げている間に自分が銃を撃ったりしました。そうしなかったら、やってきたロシア兵に殺されるからです。私は、人が殺され、女性がレイプされるのを見て、ロシア兵を殺しました。それについて後悔していません。家族や子どもたちを守るためでした」
「グロズヌイを歩いていて、チェチェン人というだけで携帯を取り上げられ、中身をチェックされたこともある」
 戦争は終わっていたけれど、テロを防ぐなどの名目で捕まえられたりする危険は常にあったという。ウマルがチェチェンを出たのは2015年。父が用意してくれた馬で、大コーカサス山脈を越えた。隣国のジョージアに逃れるためだ。幼い息子2人を連れ、森で2晩息をひそめたという。その後、ジョージアからトルコに移り、フィンランドで難民として認定され、グロズヌイに残った妻と娘も合流した。
 故郷を離れるとき、チェチェンの刀と装束を誰も知らない場所に埋めてきた。その場所は子どもたちだけに教えた。自分が戻れなくても、子どもたちが取り出せるように。

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「今、ウクライナでロシアがやっていることはチェチェンで起きたことと同じだ。とてもひどい」
 そして「今はスマホで何が起きているかをSNSで見られるけれど、チェチェン戦争のときは誰も発信できなかった」と彼は言った。第2次チェチェン紛争のときには情報統制で記者たちが現地に入ることや、現地からの報道が難しくなった。私が「知らなくてごめんなさい」と言うと、ウマルはスマホで翻訳した文章を見せた。
「全世界が私たちに何もしませんでした」
 その画面に私の目が釘付けになった。絶望を見た人の言葉だと思った。

「いま、ガザで子どもたちが殺されているのを見ると胸が痛いです」
 彼はまた「ロシア人はみな、チェチェン人を差別する。チェチェン人が必要なんじゃなくて、石油が必要なだけなんだ」と言った。
 私はふと、教室で私がよく隣に座っている、ロシア人のニコライのことを思い出した。旧ソ連時代のモスクワに生まれた60歳近い男性だ。彼は、
「あなたの国では風邪をひいたとき、どうしますか?」
「熱があるとき、どうしますか?」
「気持ちが落ち込んでいるとき、どうしますか?」
「誕生パーティでは何をしますか?」
という会話練習のすべてに、
「私はウオッカを飲みます」
と答えて、わははははと笑う冗談好きな男性だった。
 ウマルに「クラスのニコライもそうだと思う?」と聞くと「おんなじだよ」と短く答えた。教室の席で楽しそうに笑っていたときとは、別の人のようだった。ウマルは、ヘルシンキのバス停でロシア人とけんかしたこともあったという。ロシア語で、大きな声でウクライナの悪口を言っている人がいた。ウマルが足を止めると「お前、ロシア語がわかるのか?」と言われ、「オーケー、おれはチェチェン人だ」と言って、ひじをちょっと入れて殴ったそうだ。
「息子が、フィンランドの学校でロシア人の子どもとけんかしたときは、『よくやった』とお小遣いを5ユーロあげた」

 私たちは2時間ぐらいそこで話をした。教室の中と同じようにまた彼が笑いだすまで。最後にウマルは「今日はチェチェンの話を聞いてくれてありがとう」と言って、カバンから何か取り出した。「あなたの息子さんにどうぞ」と渡されたのは、小さな香水の瓶だった。それは、日本から来た細身の中学生より、鍛えられたチェチェンの男性に似合いそうな強い香りだった。

ウマルがくれた、香水の小瓶。チェチェンの香水だと思っていたが、SPAINと書いてあった。 撮影:堀内京子
ウマルがくれた、香水の小瓶。チェチェンの香水だと思っていたが、SPAINと書いてあった。 撮影:堀内京子

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堀内京子

ほりうち・きょうこ
ライター。1997年から2023年まで新聞記者。退職し、現在は二人の子どもとヘルシンキに滞在。著書『PTAモヤモヤの正体』(筑摩選書)、共著に『徹底検証 日本の右傾化』(筑摩選書)『まぼろしの「日本的家族」』(青弓社) 『ルポ税金地獄』(文春新書)、朝日新聞「わたしが日本を出た理由」取材班として『ルポ若者流出』(朝日新聞出版)がある。

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