よみタイ

「チヨちゃんが来たんだね」

「チヨちゃんが来たんだね」

 そんなある時。
 例によって両親の罵声で目が覚めた。それに加えて、鈍く重い音、ガラスが割れる音も重なる。今夜は物まで投げあっているようだ。
 私はただ息を殺し、じっと天井を見つめる。そのうちに少女の影が見えてくる。
 ただ今夜だけ、形がいつもと違っていた。
 両脚が、体からちぎれているのだ。細長い二本のシルエットが、胴体の下でゆらゆらと揺れている。
 ──違う、私の影じゃない。
 幼いながらにそう気づいた。すると影が、ゆっくり天井からこちらに降りてくるではないか。そのまま黒い少女の顔が、私の耳元に近づいてきて……。
 そこで気を失ってしまった。
 父と母が別れたのは、それからすぐのことだった。
 
 私の思い出話を聞いた母は、ワインを注ぎながら眉をひそめた。
「それ……チヨちゃんが来たんだね」
 とても昔のことだ。母の叔母にあたるチヨという人が、六歳の時に亡くなった。 
 列車にはねられての事故だった。両脚が切断された、むごたらしい遺体だったという。
 それからというもの、近親者の多くが、たびたびチヨらしき人影を見かけているのだ。
 死んだ時のままの、両脚がない幼女の姿を。
 そして彼女が目撃された後はきまって、家族の誰かが死別や離別を経験するのだという。
 母方の親戚にとって、チヨは不幸の前兆を報せてくれる存在なのだ。
「あんたの親が離婚するよって、心配して教えに来たのかねえ……」
 母はため息をつき、ワイングラスを口に運んだ。
 ……そうなのかな。いや、そうじゃないだろう。
 あの人影が本当に「チヨ」だったとしても、それはけっして私を心配していたのではない。天井から降りてきた影は、私に向かってこう呟いていた。
 
 死ね、もう死ね、死ね、死ね、死ね……、と。

8月の『日めくり怪談』特集一覧
8月2日 空を飛ぶ夢を見るようになったら
8月6日 あの家に住んでいた頃のこと
8月9日 川の上流から流れてくるもの
8月13日 「チヨちゃんが来たんだね」
8月16日 小人が見える女子大生
8月20日 夏休みに流れた噂
8月23日 振り向いてくれない美人教師

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7月の『日めくり怪談』特集一覧
7月2日 夜道を歩く女性の二人組が向かう先
7月4日 設置されては撤去されるブランコの秘密
7月6日 クラスメイトの机に置かれた手紙
7月9日 誰も来ないはずの男子トイレで目にしたもの
7月13日 息子に見えている母の顔
7月15日 内線電話から聞こえてくる声
7月19日 祖母に禁じられた遊び
7月22日 僕にだけ聞こえてくる音
7月27日 この子は大人になる前に死ぬから
7月30日 隙間から入り込もうとするもの
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新刊紹介

吉田悠軌

よしだ・ゆうき
1980年東京都出身。怪談、オカルト研究家。怪談サークル「とうもろこしの会」会長。オカルトスポット探訪マガジン『怪処』編集長。実話怪談の取材および収集調査をライフワークとし、執筆活動やメディア出演を行う。
『怪談現場 東京23区』『怪談現場 東海道中』『一行怪談』『禁足地巡礼』『日めくり怪談』『一生忘れない怖い話の語り方 すぐ話せる「実話怪談」入門』『現代怪談考』『新宿怪談』『中央線怪談』など著書多数。

Xアカウント @yoshidakaityou

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