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「彼氏つぐってチャラチャラすんでねぞ!」母の心配は杞憂で……第12話 初恋の来ない道

 充実した高校生活には部活が欠かせない。部活に入るのは強制ではなかったが、バイト禁止で他にやりたいこともない私のような人は、やはり部活でしか人との繋がりも生まれない。小学生の時にもう二度と運動部には入らないと誓っていたが、中学の美術部はほぼ帰宅部で活動がなかったため、文化部は充実とは遠いかもしれない。そう思い、運動部の中でもジョギングとかダッシュとか走ることを求められなさそうな弓道部を選んだ。他の部活はたいてい経験者が継続して入部するため、ど素人がウロウロする場所ではないし、そもそも運動音痴な自分が入っては自分も周りも不幸になって高校生活も台無しになる。その点、弓道部なんてそうそうないし、全員未経験からスタートするだろうから、いつもみたいに「ああ、私だけうまくできない」と暗く卑屈な嫌な奴に陥る可能性も低いだろう。気持ち良くいい人で過ごすためには、大嫌いなことから距離を置くのが手っ取り早い。そう思って即決で入部した。
 弓道部はその珍しさのためか、新入生が10人以上入部し、2年生の先輩たちも10人近くいたので想像以上に大所帯の部活だった。ここなら仮に下手でも紛れられるとホッとした。 それに3人しかいない3年生の先輩は見た目も含めて凛とした美しさが漂っていて、ただの部活とはいえ彼女たちに仲間入りするのだと思うと嬉しい気持ちだった。弓道場の隣にはプレハブ小屋と呼ばれる2畳ほどの小屋があり、先輩たちはそこで着替えるが、今年は1年生の人数が多いので私たちは体育館の用具置き場を一室借りて、そこを着替えスペースとして使うことになった。弓道とはどんなものだろうと不安に思っていたが、最初の2ヶ月ほどはトレーニングルームという名前の体育館脇に無理やり増設されたような建物で、そこに置いてあるベンチプレスや、紐のようなものがついた バーを上下させてウエイトを引っ張る器具や、膝から下でウエイトを持ち上げる器具とか、そういうジムにありそうな筋トレセットでひたすら鍛えるというメニューだった。どうやら弓道には体幹が重要で、丹田とよばれる臍の下に力を入れてスッと立ち、多少押されても倒れない体を作ることが大事らしかった。筋トレは面倒だったものの、大人数の女子でおしゃべりしながらそこまで本気じゃない運動をするのは楽しかった。  

 部活もリエちゃんを含め、中学で少し関わりのあった子、小学校が一緒だった子、幼稚園が一緒だった子がいたので仲良くなるのも早かった。その他の練習といえば先輩達の練習中の声出し(弓道では的に矢が当たると「よし!」と声を上げたりする)、矢を回収して、土のついた部分を雑巾で綺麗にし所定の場所に戻す、という繰り返しで、私は退屈ながらも「早く射たせてほしい」という意欲もなく、やる気のないバイトのような気持ちで気楽に定時を待っていた。だいたい18時が練習の終了時間で、終わるとすぐに「おつかれさまでした」と帰る。 先輩たちはいつも残って練習していたが、1年生はもうこの時間はトレーニングルームも使えないし、道場にも入れないので素直に帰る。それでも高校から家までは自転車で20分ほど、徒歩では45分ほどかかるため、家に着く頃には19時手前で真っ暗なので、まっすぐ家に帰っても母に心配され(怒られ)ることもしばしばだった。
 高校生になった私は、確実に人生が良くなっている実感があった。それはとても単純なことなのだが、実は中学2年生の終わり頃ピアノを辞めることになり、生活の中に憂鬱になる要素がほぼ皆無となったからだった。ピアノももう後半は面倒になって、月に一度はこっそり公衆電話から先生に連絡を入れサボるという体たらくで、8年も習っていながら練習しないせいで全然上達せず、保育士になるため高校生になってから習い始めた従姉妹のお姉ちゃんの方が私よりずっと上手になって卒業した。私ときたら目的すらない、本当に一体何をやっているんだろう、でも辞めるなんて言ったら親が怒る……そう思っていた矢先、母からの打診で受験の名の下にピアノを辞めることになったのだ。ついに、ついにあの憂鬱なピアノが終わった。先生も私みたいな無気力な生徒に教えるのは虚無感でいっぱいだったろうから、本当に終わって良かった。水泳もピアノも憂鬱なことが全部終わって、日々そこそこ楽しい。今日までずっと「嫌なことを我慢して続けていないと何か大変な不幸が起こる」と心のどこかで思っていたが、今思えばなんであんなに辛いことを「辞めちゃいけない」と固執していたのだろう。

 6月にもなると3年生の先輩たちは卒業を迎え、2年生と1年生だけの部活が始まった。2年生も部活内での最年長となり、後輩指導に対しての責任感と緊張が感じられる。私たちもまだ道場での練習はしないが、巻藁という練習用の的のようなものを使い、弓を使って実際に射る練習に入った。真面目な生徒もいたが、数ヶ月もすると徐々にみんなダレてくる。人数も多いし、1年生が一人も部活に来ないなんてことはまずないし、勤勉なタイプの子達は毎日必ず通っているだろう。そんなわけで部活はたまにサボってもあまり問題にはならない、と気づいた私やリエちゃんなど数人はサボるようになった。サボる時はだいたいカラオケに行くが、私は親にカラオケ禁止、というか学校のお便りで禁止とされているものは同様に禁止という暗黙のルールがあったので、滅多に行けなかった。親しい子がいない部活はつまらないので、私もカラオケには行かないものの部活にも行かず自転車を漕いでフラフラする。もうこの頃には、リエちゃんとは親しくしてはいるが微妙な関係で、部活内では同じグループとみなされているが、二人だけでお喋りしたり仲良くすることはなかった。親しいけれど何か因縁があるような、でも周囲には仲が悪いと思われないようにしたい、という一点のみで繋がっていた関係だった。ダラけた1年生なので、時々部活のマネージャーに「この前先輩が1年少なくない?って怒ってたよ」と教えてもらうことも増え、部活をサボる時は他の1年生に「今日部活出る?」と確認し、7人以上出るようならサボる、という形で1年生が閑散としないように気をつける習わしができた。

 ある日、いつものように最後の授業が終わると弓道部の不真面目な子だけがクラスに集まって、「今日行く? うちらカラオケ行こうと思っててさ」とシフトの調整みたいな相談が始まり、帰り支度をする私にリエちゃんが「梅子今日部活行くよね?」とぶっきらぼうに聞いてきた。 その口調が目下の者に命令するような言い方でイラッとし「うーん、考え中」と返すと「今日ウチらカラオケ行くんだから人数減るじゃん、先輩になんか言われたらどーすんの? 絶対行ってよ?」と、まるで出来損ないの部下に簡単な雑用を100回も説明している上司の顔で言われたのだった。納得がいかない。私たちは対等なはずである。前々から思っていたが、リエちゃんの中ではもう、私が下等生物ということは揺るがないのだろう。部活内でなぜか『タッチ』が流行った時だって、「持ってくるの重いから」という理由で私には貸してくれなかった。私だってよく漫画を貸していたのに。たしかに私はウザくて卑小で退屈な奴だから、こういうあしらわれ方は妥当かもしれない。でも、そんな横暴さに馬鹿正直に傷ついていた鈍臭く意思のない金魚のフンだった時代は終わったのだ。
 その日、私は部活に行かなかった。自転車を漕いで、バイパスの大きな道路を下りちょっと遠回りして帰る。明日、私が部活をサボったと知ったらリエちゃんは顔面蒼白だろうか、そんなことを考えると楽しかった。部活をサボるのは初めてではないが、こうもあからさまにリエちゃんに従わずサボるのは初めてだった。もうリエちゃんの顔色は伺わない。そういう強い気持ちを持ったのは確かだが、これはお祭りの練習を辞めた時と同様に、クラスにも部活にもそこそこ親しくする人ができたことで、自分の中でリエちゃんの存在感が薄れた事が大きい。もう高校生だし、幼稚な理由で仲間はずれをする人はいないし、部活の1年生も穏やかな人が多いので派手にハブられる心配もないだろう。そうしたセーフティネットがあってはじめて強気になれるとは、やはり器の小さい奴である。

次回は5月15日(水)公開予定です。

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新刊紹介

冬野梅子

漫画家。2019年『マッチングアプリで会った人だろ!』で 「清野とおるエッセイ漫画大賞」期待賞を受賞。その後『普通の人でいいのに!』(モーニング月例賞2020年5月期奨励賞受賞作)が公開されるやいなや、あまりにもリアルな自意識描写がTwitterを中心に話題となり、一大論争を巻き起こした。2022年7月に、派遣社員・菊池あみ子の生き地獄を描いた『まじめな会社員』(講談社)全4巻が完結。
講談社のマンガWEBコミックDAYSにて「スルーロマンス」連載中。

Twitter @umek3o

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