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銀行のお声かけ係と顔の認識

 一方、どうでもいいことだけは頭のなかにインプットされてしまう。先日も習い事のために外出し、少し早めに到着したので、駅の周辺を散歩がてら歩いていると、駅の裏手の路地に飲み屋街があり、その角に小さな風俗店があった。こんなところにもあるんだと思っていたら、スマホを見ながら私の横をゆっくりと追い越していった若い男性が、すっとそこに入った。私はびっくりして思わず、
「ひゃっ」
 と小声でいってしまったのだが、昼の十二時半に利用する人もいるんだとわかった。そしてその店の名前と、入っていった男性の顔、服装などは鮮明に覚えている。
 次は午後二時だった。駅前で買い物を済ませて帰ろうと、人通りが多い道を歩いていった。そこの道路沿いにはラブホテルがあるのだが、老若男女がその前を通っている。今日は人出が多いなと思いながら歩いていたら、向こう側から歩いてきたカップルが、大人数が歩いているというのに、堂々とドアを開けてホテルの中に入っていった。このときも私は、
「わわっ」
 と小さな声を上げてしまった。他に気づいた人がいるのではと、周囲を見渡してみたが、他のカップルや子ども連れの親子などは気づかなかったようだった。驚いているふうの人は私以外、誰もいなかった。
 もしかしたら周囲の彼らも目撃したけれど、ただ入りたい場所に入っただけだし、たいした問題とは思わなかったのかもしれない。真っ昼間から風俗店やホテル? と私は驚いたけれど、店が開いているのなら、行く人はいるだろう。こういうことに関しても、若い人はこそこそしていないのだなあと、その大らかさに感心したりもした。がっくりきたのは、風俗店に入っていった男性と同じく、ホテルの店名、男女それぞれの顔、ヘアスタイル、服装をいまだにはっきりと覚えていることだ。彼らを一瞬しか見ていないのにだ。私は人の顔を覚えられるのか、それとも覚えられないのか。自分でも微妙にわからない年頃になってしまったのである。

本連載は今回が最終回です。ご愛読いただきありがとうございました。連載をまとめた書籍を来年5月に発売する予定です。どうぞお楽しみに。

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群ようこ

むれ・ようこ●1954年東京都生まれ。日本大学藝術学部卒業。広告会社などを経て、78年「本の雑誌社」入社。84年にエッセイ『午前零時の玄米パン』で作家としてデビューし、同年に専業作家となる。小説に『無印結婚物語』などの<無印>シリーズ、『しあわせの輪 れんげ荘物語』などの<れんげ荘>シリーズ、『今日もお疲れさま パンとスープとネコ日和』などの<パンとスープとネコ日和>シリーズの他、『かもめ食堂』『また明日』、エッセイに『ゆるい生活』『欲と収納』『還暦着物日記』『この先には、何がある?』『じじばばのるつぼ』『きものが着たい』『たべる生活』『小福ときどき災難』『今日は、これをしました』『スマホになじんでおりません』『たりる生活』『老いとお金』『こんな感じで書いてます』『捨てたい人捨てたくない人』『老いてお茶を習う』、評伝に『贅沢貧乏のマリア』『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』など著書多数。

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