2022.6.29
着物の手入れとセルフレジへの当惑
愛猫を見送り、ひとり暮らしとなった群ようこさんの、ささやかながらも豊かな日常時間をめぐるエッセイです。
版画/岩渕俊彦
第4回 着物の手入れとセルフレジへの当惑

夏に使うつもりの、ソックヤーンで編んでいる透かし編みのミニマフラーについてのその後である。模様編みの編み図も、すべて頭に入って編み進みが早くなり、十五センチほどの長さになった。そこで、ちょっと顔映りを確認しようと、それを首にあてて、鏡の前に移動しようとしたとたん、
「こりゃ、だめだ」
とあわてて首から離した。信じられないくらい、ちくちくする。同じ体の皮でも、足は大丈夫でも首にはだめだったようだ。このような状態では首にはとても巻けないと断念し、すべて解いて本来の靴下用として使うことにした。新しい糸を買うつもりはなく、編み物は秋までお休みである。
日々、何らかの手仕事がないとつまらないので、次は針仕事、といっても大げさなものではなく、手はじめに夏の着物用の半衿の付け替えをはじめた。着物は着ていて楽しいのだが、慣れるまでは準備がちょっと面倒くさい。袷、単衣、夏物では、襦袢も半衿の織り方も違う。和装のしきたりは昔のように厳格ではなく、ゆるやかにはなっているし、ふだん着ならば問題ないけれど、それなりの場所に出向くときには、季節を意識しなければならない。
そこで半衿をつけていない状態で待機中の、単衣と夏物の長襦袢への半衿つけをはじめた。洗濯機で洗える便利な半衿つき合繊襦袢もたくさん市販されているが、私は静電気体質なので、袷の時期、特に冬にそれを着ると、ものすごい静電気に悩まされるので着られない。夏は大丈夫なので、二枚ほど持っている。しかし洗濯機で丸洗いできない、絹の単衣や絽の襦袢は着心地が違うので、夏といえども欠かせないのだ。
単衣の時期の絹襦袢には絹の楊柳、夏物の絽の絹襦袢には絹の絽や紗、麻の襦袢には麻の半衿をつける。絽塩瀬の半衿は単衣と夏物の両方につけられる。合繊の半衿はいつも真っ白なのだけれど、年齢を重ねるうちにその白さが顔に合わなくなってきた。合繊の真っ白な半衿と比べると、白さのトーンが落ち着いた正絹のもののほうが、顔映りがいい。使って洗うのを繰り返していくうちに、黄変してしまうので、そうなったら家で着物を着るときに使う。木綿の衿つき半襦袢に縫いつけて、そのままネットに入れて洗濯機で洗っている。
編み物に比べると針仕事は苦手だ。編み物の場合、どんなに細い編み針でも、編んでいる最中に手に刺さることなんてありえないが、縫い針の場合はそれがしょっちゅうなのだ。気をつけているつもりなのに指を刺したり、手を動かしたときに待ち針をひっかけたりと、そこここに痛いことが転がっている。おっちょこちょいなので、襦袢一枚に半衿をつけようとすると、最低二回は針が刺さって、
「痛たたた……」
となる。
昔に比べて出血するような事態にはならないのは、加齢によって指先の皮が分厚くなったせいのような気がするけれど、痛点を刺激する小さな事故は、相変わらず起こる。それでも半衿はつけなくてはならないので、そのたびにちょっとどきどきするのだ。
そんなこんなで、
「痛たたた……」
を何度かやらかしながら、単衣と夏物と合わせて六枚の襦袢の半衿をつけ終わった。そのなかで、単衣の襦袢の衿幅が、私の指定している寸法と違っているのがわかった。仕立てて畳紙に入れたままになっていたのを思い出し、それにも衿芯と半衿をつけようと取り出してみたら、明らかに後ろ衿幅の寸法が違う。長い間着物や襦袢を見ているので、自分とは違う寸法は、目視でわかるようになった。
もしかしたら仕立てた人が、母の寸法と混同しているのではないかと、他の部分を測ってみたら間違いはなかった。たった五ミリ、衿幅が広いだけなのだが、身長が低い私にとっては大違いなのである。仕方なく襦袢の後ろ衿を部分的にほどいてみた。すると中に芯のつもりなのか、布がたたんで入れてあった。単衣用なのに襦袢の地衿(半衿をつける襦袢の土台の部分)がぼてっと分厚いのはいやなので、そのたたんである分を取り去り、余分な五ミリ分を内側に折り込んでくけ直した。きちんと和裁を習っていないので、本を見ながらの独学でしかないのだが、不格好ではなく着られればそれでいいのである。