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人間は簡単にはこの世を去ることはできない 第9便 終活前の生活の整理

ともに翻訳家でエッセイストの村井理子さんとクォン・ナミさん。
300冊以上の日本文学作品を韓国語に翻訳されたクォンさんのエッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』を村井さんが読んだことがきっかけで、メールのやり取りが始まりました。
翻訳家であること、介護を経験をしていること、愛犬を亡くしたこと、そして50代女性という共通点が次から次へと出てきて…語り合いたいことが尽きないふたりの、ソウルと大津の間を飛び交う往復書簡エッセイです。

第1便と、第2便は韓国語でも読めます!


バナーイラスト 花松あゆみ

第9便

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 ナミ様

 ナミさん、お元気ですか? あっという間に日々が過ぎていきます。日本では今、ちょうど桜が満開の時季です。私が住んでいる琵琶湖の周辺、それも琵琶湖の北側はこの時季になってもまだまだ寒く、強い風がびゅうびゅう吹いています。洗濯物が吹っ飛ばされていきます。ペットボトルやら、ビール缶やら、なんでもかんでも飛んでいきます。

 ニュースを見れば各地で美しい桜が咲いたという話題ばかりなのに、わが家では今日もストーブをいています。ストーブの上に鍋を置いて、じゃがいもを茹でたり、スープを炊いたりするのは楽しいものですが、それにしても寒い! 確かに桜は少し咲き始めましたが、背後にそびえ立つ山々は濃い灰色の巨大な壁のようです。年々、天候が厳しい田舎暮らしが辛くなってきたようにも感じています。わが家にやってきて半年が経過したテオ(ゴールデンレトリーバー二歳)と灰色の山を眺めながら、早く暖かくならないかなあと思っています。

 実はこの灰色の山々は、私のお守りのような存在でもあります。以前飼っていた黒ラブのハリー(ナミさんもハリーのことをとても好きでいてくれましたね)の調子が悪かったとき、彼は一時間ごとに庭に出て、うろうろと歩き回りました。どこかが痛かったのでしょうね。ちょうど、雪の時季でした。私は分厚いコートを羽織って、そんなハリーの後ろをついて歩きながら、灰色の山々を見つめていました。この辛い時間を、絶対に一人(一匹?)にはしないと思い、夜中であってもハリーに付き合いました。そして、祈っていました。神様がいるとしたら、お願いです。ハリーが死んだら、その魂をこの山に宿して下さい。それが叶えば、私はいつでもこの子に会えるから。きっと、ハリーは山から私の生活を見ていると思います。大きなハリーが寝そべっている背中のラインと、山のりようせんが重なります。あの子が死んで、もう一年が経ちました。あっという間の一年。ようやく、一年です。

 話は少し変わります。
 二〇一九年の年末に亡くなった兄について書いた『兄のしまい』という一冊が、十一月に公開される『兄を持ち運べるサイズに』という映画の原作になりました。『兄の終い』は韓国語にも訳されており、ナミさんも読んで下さいました。映画が公開されたら、もしかしたら韓国でも、観ていただけるようになるかもしれません。

 私にとって兄の死は衝撃以外の何ものでもありませんでした。なぜなら、突然だったからです。そして、彼が遺した多くの物(物質的なもの、そしてそれ以外のもの!)の処理やら手続きやらに翻弄された日々は、忘れることができません。正直なことを書くと、今でも兄の遺したいろいろな物を片づける日々です。人間は簡単にはこの世を去ることはできないのだなと、最近は思います。長く生きれば生きるほど、様々なものが蓄積されていく。その処理は、遺された人間の役割なのかもしれませんね。

 日本では「終活」という言葉が頻繁に使われます。自分の生涯の終わりに備えて準備するという意味です。この「かつ」は、英語でいえばplanningだそうで、日本語にはこれに似た言葉が山ほどあります。婚活、就活、パパ活、腸活……意味がわからないものも多いですが、すぐに言葉を作ってしまうところが、日本語の身軽さというか、特徴でもあり、面白いところだということは、きっとナミさんも同意して下さるのではないでしょうか。

 そう、私は今、終活とまではいきませんが、生活の整理をしています。まだまだ死ぬ気はありませんが(ナミさんとビールを飲むまではさすがに死ねません)、とにかく身軽に生きることにしようと考えています。まずは物を減らすことから始めています。というのも、私のデスク周りの写真を一度お見せしたいです。恐ろしいことになっています。まずはこの洞窟のような見た目のデスク周りをなんとかしなくてはなりません。本の山をなんとかきれいにして、せめてもう少し作業場を広くしたい。あまりにも作業場が汚いので、喫茶店に避難するという生活をどうにかしたい。兄が最後に暮らしていた部屋を思い出しながら、今の私の部屋を子どもたちに遺すことだけはしてはならないと、悲壮な覚悟で掃除をしています。大げさですが。

 ナミさんが前回のお手紙で、「ノートパソコンさえあれば、どこでも仕事ができる今の暮らし。そんな日々を活かして、近いうちに東京で少し長く過ごしてみようと計画しています」と書いておられました。その身軽さに感激! ご両親を見送られ、娘さんは立派に成長され、自由になったナミさん。私も、ナミさんのように、ノートパソコンを持って、さらりとよその国で仕事をしてみたい。確かに私もお金には不自由だけど(笑)!

 できるかな? いや、やってみるんだよ! という、勇気をもらった気分です。

 暖かく、新緑が美しい時季に、ナミさんにお会いできるのを楽しみにしています。

 村井理子

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新刊紹介

クォン・ナミ(權南姬)

クォン・ナミ(權南姬)
1966年、大邱生まれ。韓国を代表する日本文芸の翻訳家でエッセイスト。主な訳書に、村上春樹『パン屋再襲撃』『村上ラヂオ』、小川糸『食堂かたつむり』『ツバキ文具店』、恩田陸『夜のピクニック』、群ようこ『かもめ食堂』、天童荒太『悼む人』、益田ミリ『僕の姉ちゃん』シリーズ、角田光代『紙の月』、三浦しをん『舟を編む』、東野圭吾『宿命』、ヨシタケシンスケ『メメンとモリ』、 鈴木のりたけ『大ピンチずかん1,、2』など翻訳歴約32年の間に300冊以上を担当。著書に、エッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』(日本語版平凡社刊)、『面倒だけど、幸せになってみようか』『ある日、心の中にナムを植えた My Dog's Diary』『スターバックス日記』 などがある。
日本語版のエッセイが今年11月に発売予定。

권남희
1966년, 대구 출생. 일본문학번역가, 에세이스트. 지은 책으로 『번역에 살고 죽고』 『귀찮지만 행복해볼까』『혼자여서 좋은 직업』『어느 날 마음속에 나무를 심었다』『스타벅스 일기』가 있으며, 옮긴 책으로 『빵가게재습격』『무라카미 라디오』『밤의 피크닉』『달팽이식당』『츠바키 문구점』『카모메식당』 『애도하는 사람』 『종이달』 『배를 엮다』 『누구』『라이온의 간식』 『숙명』 『무라카미 T』 『메멘토모리』 『위기탈출도감1,2』 외에 많은 작품이 있다. 올해 11월에 일본어판 에세이 발매 예정.






村井理子

1970年、静岡県生まれ。翻訳家、エッセイスト。主な著書に『兄の終い』『全員悪人』『いらねえけどありがとう いつも何かに追われ、誰かのためにへとへとの私たちが救われる技術』『ハリー、大きな幸せ』『家族』『はやく一人になりたい!』『村井さんちの生活』 『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』『ブッシュ妄言録』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『ふたご母戦記』『義父母の介護』『エヴリシング・ワークス・アウト 訳して、書いて、楽しんで』『ある翻訳家の取り憑かれた日常2』など。主な訳書に『「ダメ女」たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『エデュケーション』『捕食者 全米を震撼させた、待ち伏せする連続殺人鬼』『消えた冒険家』『射精責任』『PARIS The Memoir』『ハリウッドのプロデューサー、英国の城をセルフリノベする』など。

무라이 리코
1970년, 시즈오카현 출생. 번역가, 에세이스트. 주요 저서로 『오빠가 죽었다』 『낯선 여자가 매일 집에 온다』 『필요 없지만 고마워: 항상 무언가에 쫓기고, 누군가를 위해 지쳐있는 우리를 구원하는 기술』 『하리, 커다란 행복』 『가족』 『빨리 혼자가 되고 싶어!』 『무라이 씨 집의 생활』 『무라이 씨 집의 꽉꽉 채운 오븐구이』 『부시 망언록』 『갱년기 장애인 줄 알았는데 중병이었던 이야기』 『책 읽고 나서 산책 가자』 『쌍둥이 엄마 분투기』 『어느 번역가의 홀린 듯한 일상』 『시부모 간병』 등이 있다. 주요 번역서로 『요리가 자연스러워지는 쿠킹 클래스』, 『에듀케이션』, 『포식자 : 미국 전역을 충격에 빠뜨린 매복형 연쇄 살인마』,『사라진 모험가』, 『책임감 있게 사정하라』, 『PARIS The Memoir』, 『헐리웃 프로듀서, 영국의 성을 셀프 리노베이션하다』등.


X:@Riko_Murai
ブログ:https://rikomurai.com/

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