2025.5.13
人間は簡単にはこの世を去ることはできない 第9便 終活前の生活の整理
300冊以上の日本文学作品を韓国語に翻訳されたクォンさんのエッセイ『ひとりだから楽しい仕事』『翻訳に生きて死んで』を村井さんが読んだことがきっかけで、メールのやり取りが始まりました。
翻訳家であること、介護を経験をしていること、愛犬を亡くしたこと、そして50代女性という共通点が次から次へと出てきて…語り合いたいことが尽きないふたりの、ソウルと大津の間を飛び交う往復書簡エッセイです。
☆第1便と、第2便は韓国語でも読めます!
バナーイラスト 花松あゆみ
第9便
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ナミ様
ナミさん、お元気ですか? あっという間に日々が過ぎていきます。日本では今、ちょうど桜が満開の時季です。私が住んでいる琵琶湖の周辺、それも琵琶湖の北側はこの時季になってもまだまだ寒く、強い風がびゅうびゅう吹いています。洗濯物が吹っ飛ばされていきます。ペットボトルやら、ビール缶やら、なんでもかんでも飛んでいきます。
ニュースを見れば各地で美しい桜が咲いたという話題ばかりなのに、わが家では今日もストーブを焚いています。ストーブの上に鍋を置いて、じゃがいもを茹でたり、スープを炊いたりするのは楽しいものですが、それにしても寒い! 確かに桜は少し咲き始めましたが、背後にそびえ立つ山々は濃い灰色の巨大な壁のようです。年々、天候が厳しい田舎暮らしが辛くなってきたようにも感じています。わが家にやってきて半年が経過したテオ(ゴールデンレトリーバー二歳)と灰色の山を眺めながら、早く暖かくならないかなあと思っています。
実はこの灰色の山々は、私のお守りのような存在でもあります。以前飼っていた黒ラブのハリー(ナミさんもハリーのことをとても好きでいてくれましたね)の調子が悪かったとき、彼は一時間ごとに庭に出て、うろうろと歩き回りました。どこかが痛かったのでしょうね。ちょうど、雪の時季でした。私は分厚いコートを羽織って、そんなハリーの後ろをついて歩きながら、灰色の山々を見つめていました。この辛い時間を、絶対に一人(一匹?)にはしないと思い、夜中であってもハリーに付き合いました。そして、祈っていました。神様がいるとしたら、お願いです。ハリーが死んだら、その魂をこの山に宿して下さい。それが叶えば、私はいつでもこの子に会えるから。きっと、ハリーは山から私の生活を見ていると思います。大きなハリーが寝そべっている背中のラインと、山の稜線が重なります。あの子が死んで、もう一年が経ちました。あっという間の一年。ようやく、一年です。

話は少し変わります。
二〇一九年の年末に亡くなった兄について書いた『兄の終い』という一冊が、十一月に公開される『兄を持ち運べるサイズに』という映画の原作になりました。『兄の終い』は韓国語にも訳されており、ナミさんも読んで下さいました。映画が公開されたら、もしかしたら韓国でも、観ていただけるようになるかもしれません。
私にとって兄の死は衝撃以外の何ものでもありませんでした。なぜなら、突然だったからです。そして、彼が遺した多くの物(物質的なもの、そしてそれ以外のもの!)の処理やら手続きやらに翻弄された日々は、忘れることができません。正直なことを書くと、今でも兄の遺したいろいろな物を片づける日々です。人間は簡単にはこの世を去ることはできないのだなと、最近は思います。長く生きれば生きるほど、様々なものが蓄積されていく。その処理は、遺された人間の役割なのかもしれませんね。
日本では「終活」という言葉が頻繁に使われます。自分の生涯の終わりに備えて準備するという意味です。この「活」は、英語でいえばplanningだそうで、日本語にはこれに似た言葉が山ほどあります。婚活、就活、パパ活、腸活……意味がわからないものも多いですが、すぐに言葉を作ってしまうところが、日本語の身軽さというか、特徴でもあり、面白いところだということは、きっとナミさんも同意して下さるのではないでしょうか。
そう、私は今、終活とまではいきませんが、生活の整理をしています。まだまだ死ぬ気はありませんが(ナミさんとビールを飲むまではさすがに死ねません)、とにかく身軽に生きることにしようと考えています。まずは物を減らすことから始めています。というのも、私のデスク周りの写真を一度お見せしたいです。恐ろしいことになっています。まずはこの洞窟のような見た目のデスク周りをなんとかしなくてはなりません。本の山をなんとかきれいにして、せめてもう少し作業場を広くしたい。あまりにも作業場が汚いので、喫茶店に避難するという生活をどうにかしたい。兄が最後に暮らしていた部屋を思い出しながら、今の私の部屋を子どもたちに遺すことだけはしてはならないと、悲壮な覚悟で掃除をしています。大げさですが。
ナミさんが前回のお手紙で、「ノートパソコンさえあれば、どこでも仕事ができる今の暮らし。そんな日々を活かして、近いうちに東京で少し長く過ごしてみようと計画しています」と書いておられました。その身軽さに感激! ご両親を見送られ、娘さんは立派に成長され、自由になったナミさん。私も、ナミさんのように、ノートパソコンを持って、さらりとよその国で仕事をしてみたい。確かに私もお金には不自由だけど(笑)!
できるかな? いや、やってみるんだよ! という、勇気をもらった気分です。
暖かく、新緑が美しい時季に、ナミさんにお会いできるのを楽しみにしています。
村井理子

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