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田邊博崇 国内広告代理店で経験を積み、世界へ! 【実録・メンズノンノモデル 第7回 前編】

1986年5月9日に、女性ファッション誌『non-no』の男性版として創刊した『MEN’S NON-NO』。阿部寛さんなど俳優やアーティストを数多く輩出してきた同誌の創刊40年を記念して、本連載では、かつて専属モデルとして誌面に登場し、その後、様々なフィールドへと羽ばたいていった「メンズノンノモデル」たちの“現在”の姿と声をお届けしていく。常識にとらわれず、大きな変化をも恐れない彼らのしなやかな生き方から、先を見通しづらい現代を”自分らしく”生き抜くヒントを受け取ってほしい。

今回のゲストは、1996年に第11代メンズノンノモデルに選ばれ、ファッションページから取材ものまで、4年にわたり様々なページに登場した田邊博崇(たなべひろたか)さん。現在は、世界最大級のコンサルティング企業、アクセンチュア傘下のクリエイティブエージェンシーであるDroga5 TokyoでCEOを務め、クリエイティブ業界で大いに存在感を発揮している。その田邊さんの20代の経験とは。前編では、モデルになる前のエピソードや誌面作りから得た学びなどについて、ユーモアをまじえつつたっぷりと語ってくれた。

取材・文/徳原 海  撮影/山田 陽

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アルバイトに明け暮れた学生時代

大手広告代理店の博報堂を経て、現在は世界トップクラスのクリエイティブエージェンシーであるDroga5 TokyoのCEOとして、日本と海外を頻繁に行き来しながら活躍する田邊博崇。広告やクリエイティブ業界の最先端を走る注目のビジネスパーソンである彼が、メンズノンノモデルになったのは今からちょうど30年前のことだ。

田邊博崇(以下、田邊)  (当時の誌面を眺めながら)懐かしいですね。実は僕、大学入学直後に休学しまして、モデル募集の記事を見て応募したのは復学したばかりの頃だったんですよ。

当時19歳だった田邊は、世間一般で言う“苦学生”でもあった。

田邊 エンジニアだった父の影響で、小さい頃から車やロボットが大好きで、将来は自分も父のようなエンジニアになりたいという思いがありました。でも、甲子園を目指してずっと野球に夢中だったこともあり、本腰を入れて勉強し始めたのは野球部を引退した高校3年の夏。浪人覚悟で理系の大学を目指そうと考えていたその矢先に、父が他界しまして。主婦の母とまだ中学生の妹と僕。家計を考えると、一度は進学を諦めて就職しようと思ったのですが、母が「とにかく大学は出なさい」と。推薦枠のあった地方の国立大学か、自宅から通える付属の大学か、すごく悩みましたが、母と妹を残して一人で地方に行くことを選べず、最終的に自宅から原付で通える法政大学経済学部に、バイトで学費を稼ぎながら通うことを決めました。ところが、入学後、週5でびっしりと埋められた授業の時間割を見た瞬間、これは学費を賄えるほどのバイトをしながら通うのは無理だなと思い、その翌日、休学を決めました。まずは1年間みっちり働いて、3年生までの学費を払えるお金を稼ごうと思ったんです。

 入学直後の休学から1年間、学費を稼ぐために朝から晩まで様々なアルバイトに明け暮れた田邊。しかし、悲壮感はまったくなかったという。

田邊 休学中は本当にいろいろなバイトをしました。まずは部活引退後すぐに始めた地元のマクドナルド。それが、店舗経営やスタッフのマネジメントも学べてめちゃくちゃ面白くて、結局6年半続けました。マクドナルドでのバイトを軸に、ほかに工事現場の足場を組む仕事や道路工事のトラフィックコントロールなどを掛け持ちしました。夕方から19〜20時くらいまで工事現場で、そのあと着替えて交通整理の現場に明け方まで出て、帰ってシャワーを浴びて、朝からまたマクドナルドに出勤する。そんな毎日をほぼ休みなしで1年続け、空いた時間にはさらに日雇いの引っ越しバイトなどもやりました。気づいたら、1年間で300万円貯める目標だったのが、480万円も貯まっていました(笑)。そこで、余剰分の180万円で、父が生前乗っていた車の中でいちばん好きだと言っていた日産のシルビアを買い戻したんです。

当時メンズノンノで連載していた北条司先生の漫画ページを懐かしく眺める田邊。本連載では、画の元にするロケ撮影のモデルを務めた
当時メンズノンノで連載していた北条司先生の漫画ページを懐かしく眺める田邊。本連載では、画の元にするロケ撮影のモデルを務めた

 現在、グローバルなクリエイティブシーンで注目を集める彼ならではのマネジメント能力やバイタリティは、バイトを通じてこの頃から存分に発揮されていたようだ。そして、メンズノンノモデル募集を知ったのはそんな折。即、応募したのは「学業と両立してできて、かつ割のよさそうな仕事を探していたから」というストレートな理由からだった。

田邊 車を手に入れたのはいいけれど、買うことに夢中になりすぎて、車にかかる保険や駐車場、ガソリン代といった維持費のことはまったく考えていなかったんです(笑)。信じられないくらい浅はかですが、「これだ!」と決めたら突き進む性格はいまもあまり変わっていないですね。かといってもう1年休学するわけにもいかないし、「大学に通いながらできるいいバイトは何だろう」と、友人たちと国道沿いのファミレスに集まって話していたときに、1人がメンズノンノを持っていて。たまたまそれがモデル募集の号だったんです。「これだ!」と思って、すぐに応募書類と写真を送りました。と言っても、しばらく経つと応募したことさえ忘れていたのですが(笑)、ある日、「カメラテストをするから編集部に来てほしい」というお電話をいただいて。確かに自ら応募はしたけれど、まさかそんな展開になるとは……という感じでした(笑)。ガッチリしていた高校時代と比べ、当時は1年間のバイト生活と食費の節約でまるでボクサーのような体型になっていたので、それが写真映えしたのかな?なんて思いつつ、いい記念になるかもしれないし参加してみようと。

 そして、書類審査を通った100名近くの候補者たちが一堂に集まりカメラテストを行う一次審査を経て、7人に絞られて実施された最終審査の後、晴れてメンズノンノモデルとなった。オーディションの時のエピソードもまた、実にユニークだ。

田邊 他の候補者たちがとにかくみんなカッコよくて、「これは僕の出る幕はないな」と思ったのですが、後日、最終選考に残ったと連絡があり驚きました。「どこが良かったんだろう?」と不思議に思いつつも、最終審査ではスタイリストさんやヘアメイクさんにも入っていただいて撮影をしました。確か面接では、「僕はお金に困っていまして」なんていう話もしたと思いますが、いちばん覚えているのは、当時のメンズノンノ編集長が元週刊少年ジャンプ編集長の堀江信彦さんだったこと。実は僕は、今でも毎週買っているほどのジャンプファン(笑)で、すぐにわかりました。その堀江さんから「君がいま読んでいる本は?」と聞かれて、その時たまたま読み直していた宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」と答えたんです。すると好きなシーンの話ですごく盛り上がって。そんな感じだったので、もしかしたら「キャラ枠」とかだったのかもしれませんね(笑)。

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新刊紹介

徳原海

大阪府出身。メンズノンノ編集部でのアルバイト勤務を経て2006年からフリーランスの編集者として活動。メンズノンノ、UOMOなどの雑誌をはじめ、現在は様々なファッションブランドやスポーツブランドの広告ビジュアル制作なども手がける。著書に「パラアスリート谷真海 切り拓くチカラ」(集英社)、写真と文で綴った欧州フットボール紀行「the Other Side」(ブートレグ出版)など。

Instagram :@kai.tokuhara

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