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「生きづらさ」のわかりづらさ

 このように、「……づらい」という言い方は、その「つらさ」の原因を他者に置く傾向があって、もちろん「生きづらい」にしてもそう。生きづらさを訴える側はあくまで被害者であり、その人の生きやすさを阻害している要因を誰かに取り除いてほしいものだ、という響きを持つ言葉なのです。
「生きづらさ」は周囲のせい、という響きをもたらしているのは他ならぬ「周囲」、と言うこともできます。誰かが、
「生きづらい」
 とつぶやくと、周囲の人々が原因を探ったり面倒を見たりと手厚い「ケア」をし、
「あなたは何も悪くないんだから、そのままでいいんだよ」
 と、自尊心を保たせることによって、主体に「自分のせいではないのだな」という感覚をもたらしているのではないか。
 もちろん、本当に他者のせいでつらい目にあっている人はたくさんいます。そういった人々に対しては、きちんとした支援や援助が必要なのは間違いないのですが、しかし「生きづらい」が流行語となってからは、
「それ、本当に他人のせいなの?」
 という事例も増えた気がしてなりません。
 たとえばSNS上で、生きづらさを訴える若い男性の呟きを見たことがありますが、その人は見た目の良さや性格の明るさなどで異性を選ぶ女性達に対して、憤りを覚えているようでした。つまり彼の生きづらさの原因は、
「俺のことを好きにならない女」の側にあるとされているのです。
 それを読んで私は、モテるために必死になっていた昔の若者達のことが、懐かしく、そして健気に思えてきたことでした。「モテない」というのは、いつの時代も若者にとって深い悩みとなりますが、「生きづらい」という言い方が発明される以前の若者は、「モテないのは自分のせい」と思っていました。この世は平等ではないのであって、モテや富は一部の人に集中する。だからこそ自分がモテるためには努力が必要。……と「ポパイ」などを読んでデートスポットを研究したり、爪に火を灯すようにして生活しながら一番安いBMWを買ったりしていたのです。
 対して今は、全てにおいて人は平等、という建前が強いため、モテの機会も平等にあるべきだ、と思う人々が登場してきました。だからこそ、「自分がモテないのは、自分の魅力に気づかぬバカ女(とかバカ男)のせい」という感覚に至るのかも。そういえば今は、女性誌においても「モテメイク」とか「愛されゆるふわヘア」と言った文言を目にしなくなったのであり、モテるための努力などといったものは、既に男女共に放棄しているのではないか。いや本当に、昔の若者は努力家だったものじゃて……。
 若者達に、
「生きづらい」
 と言われると、大人はウッとなるものです。「あなた達がこんな世の中にしてしまったから、我々は楽しく生きることができないんですよ。どうしてくれるんですか」
 と、言われているかのようだからこそ、大人は若者にさっと駆け寄り、ケアをする。
 ここで、
「生きづらさを打破すべく、少しは自分で努力してみたらどう? 根性出してみようよ!」
 などと言おうものなら、ネット上で吊るし上げにあいかねません。
 菅総理が首相就任後、「自助・共助・公助」という言葉を挙げていましたが、特に批判を浴びていたのが、「自助」という言葉でした。自分で何とかしろとは弱者に冷たいではないか、と。
 しかし昭和の男・菅氏としては、本当の弱者ではない人々までも、「ケアしてほしい」「優しくしてほしい」と雛鳥のように口を開ける様子を見てつい、「自助」をトップに持ってきてしまったのかも。前厚生労働大臣は生きづらい人をケアするメッセージを出したものの、国のトップの菅さんは、私がわからない以上に「生きづらさ」の意味をよくわかっていないように思うのでした。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』『老いを読む 老いを書く』の他、『枕草子』(全訳)など多数。

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