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原作小説の映画化を楽しむコツは「言語化と視覚化」――小説と映画、二つの『トニー滝谷』を比較する

二組の「一人二役」

 さて、物語の順序が前後してしまったが、「髪の毛一本」の差で死を免れた省三郎は、日本に帰ってくると遠縁の女性と結婚する。その女性とのあいだに生まれたのがトニー滝谷である。しかし、女性はトニーを産むとすぐに亡くなってしまう。風変わりな名前を与えられたことと、省三郎が演奏旅行のために家を空けがちだったこととが影響して、トニーは閉じこもりがちな少年になるとともに、小学校の高学年になるころには一人で何でもこなせるようになった。絵を描くことが大好きだったトニーは美術大学へと進み、絵に思想性を求めるクラスメイトたちを尻目に、ひたすら正確に描くことだけを追求した。

 卒業後のトニーはイラストレーターとして成功し、やがて「ちょっとした資産家」になる。トニーには親しい友人はおらず、恋人との関係も長続きしなかった。ところが、あるときイラストの原稿を取りにきた出版社のアルバイトの女性に一目惚れしてしまう。彼女の服の着こなしに強く惹かれるのである。

 彼女はそれからも何度かトニーの事務所を訪れることになる。彼は彼女を昼食に誘い、その際、彼女の着こなしを褒めた。それに対して彼女は「なんか、洋服って、自分のなかに足りないものを埋めてくれるような気がして」と言って応じる。彼女のこのセリフは村上の原作小説には存在しない。ただ、これに近い表現に「ふたりはまるで空白を埋めるみたいに話しつづけた」というものがある(127頁)。映画は小説に出てきた「空白」という言葉を、彼女が抱える空虚感として位置づけ、服によってそれを埋め合わせようとしている彼女の姿勢にこそトニーが惹かれたと解釈しているのである。

 トニーは彼女に結婚を申し込む。自分がどれだけ彼女を必要としているかを必死に説明するトニーに心を動かされ、彼女はそれを承諾する。こうして「トニー滝谷の人生の孤独な時期は終了した」(128頁)。しかし、妻となった彼女の服への執着は一向に収まる気配を見せず、それどころかどんどんエスカレートしていく。見かねたトニーは彼女に服を買うのを控えるように提案する。「なんだか自分が空っぽになってしまったような気がした」(133頁)彼女は、服のことで頭をいっぱいにしながら車を運転し、事故にあってあっけなく死んでしまう。

 突然愛する妻を失ったトニーには、部屋を埋め尽くす彼女の服と靴が残された。それを持て余したトニーは奇妙な求人を出す。妻とまったく同じ体型の女性をアシスタントとして採用し、亡くなった妻の服と靴を身につけて仕事をさせようとしたのである。ここで映画は二組目の「一人二役」を登場させる。求人にやってきた女性を演じているのは、妻と同じ宮沢りえである。

 「一人二役」が孕む残酷さは、連載の初回に取り上げた岩井俊二の『Love Letter』(1995年)にも表れていた。一見似ているからこそ、違うということが浮き彫りになる。映画は妻となる女性の登場シーンと、その死後に求人にやってくる女性のシーンの構図を意識的にそろえている。トニーの事務所へと続く坂道をゆっくり歩いてくる女性と、面接の時間に間に合わせるためか慌てた様子で駆け登ってくる女性という対比によって、二人の性格を描き分けている【図2、3】。当然、服の着こなしやそのセンスも異なっている。

【図2】
【図2】
【図3】
【図3】
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伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。著書に『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)がある。

Twitter @hitoh21

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