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すべてが村上春樹に還る――新刊『街とその不確かな壁』を手がかりに、ヒット作が共有する「時代の空気」を考える

映画を観た感想を、どう表現すればいいのか迷ってしまうことはありませんか?
ストーリーを追うだけでなく、その細部に注目すると、意外な仕掛けやメッセージが読み取れたり、作品にこめられたメッセージを受け取ることもできるのです。
せっかく観るなら、おもしろかった!のその先へ――
『仕事と人生に効く 教養としての映画』の著者・映画研究者の伊藤弘了さんによる、映画の見方がわかる連載エッセイ。

前回は、アン・ハサウェイが主演した『マイ・インターン』を取り上げ、『プラダを着た悪魔』と比較しながら「働く女性像」の変化を考察しました。
今回は、村上春樹の新刊『街とその不確かな壁』をひもときながら、「村上春樹」的なエッセンスが、さまざまなヒット作に見られることについて考えてみます。

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映画における「興収100億円」の壁

 村上春樹の長編小説『街とその不確かな壁』(新潮社)が4月13日に発売された。出版不況が叫ばれて久しい昨今にあって、初版30万部というのは随分と景気のいい話である。
 僕自身、これまでに発表された村上の作品は短編であれ、長編であれ、エッセイであれ、ほぼすべて読んでいる。新作が出ればとりあえず買って読む。好きな作家の一人と言って差し支えない。
 村上春樹はなぜ売れるのか? それは村上春樹だからである。もう少し丁寧な言い方をすれば、彼が描き出す独自の世界観が広く共有され、「ブランド化」しているからである。
 同じような例は映画業界にも見られる。スタジオジブリはその筆頭だろう。とりわけ宮崎駿が単独で監督した作品ならまず間違いない。じっさい、『もののけ姫』(1997年)以降の5作品は、一度も興行収入100億円を割っていない。7月に公開が予定されている『君たちはどう生きるか』も、最終的にどこまで数字を伸ばせるかはともかく、100億円を下回ることはないだろう。

 本来、100億円というのは、ちょっとやそっとで届く数字ではない。宮崎駿クラスのヒットメーカーは、実写を含めても日本映画史上、ほかに存在しない。数字だけで言えば新海誠がそれに迫るポジションに位置しており(『君の名は。』[2016年]以降の3作が100億円超え)、庵野秀明がその後塵を拝している(100億円超えは『シン・エヴァンゲリオン劇場版』[2021年]のみ)という構図だろうか。

 熱心な映画ファンならいざ知らず、一般に監督の名前で映画を見にいく観客はそれほど多くはないだろう。彼らは自分の名前で客を呼ぶことのできる例外的な監督だが、それは彼らが築き上げてきた「ブランド」の力によるところが大きく、簡単に真似できるものではない。

 原作がブランド力を持つケースもある。特にアニメーション映画では『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』(外崎春雄監督、2020年、404.3億円)や『劇場版 呪術廻戦0』(朴性厚監督、2021年、138億円)などは、原作漫画の知名度と人気にあやかって大ヒットを記録している。『ONE PIECE』や『名探偵コナン』といった長寿連載漫画の劇場版もコンスタントに製作され、好成績を収めている。

 『ONE PIECE』の劇場版は直近の『ONE PIECE FILM RED』(谷口悟朗監督、2022年、197.1億円)が初めて興収100億円を超えた。また、老舗(1951年発足)かつ業界大手の映画会社である東映が単独配給した映画で初めて100億円を超えた作品である。100億円の壁というのはそれくらい厚いものなのである(東映は同年公開の『THE FIRST SLAM DUNK』[井上雄彦監督]が立て続けに100億円を突破し、制作会社の東映アニメーションともども過去最高の業績を記録した)。

 昨年2022年までに25本の劇場版が公開されている『名探偵コナン』は、ヒットは飛ばし続けているものの、いまだに100億円超えのタイトルはない。現在公開中の劇場版第26弾『名探偵コナン 黒鉄の魚影』(立川譲監督)は公開から10日ですでに58億円を超えており(シリーズ最高のスタート)、初の100億円超えを射程圏内に捉えている。

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伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大学大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。著書に『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)がある。

Twitter @hitoh21

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