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新種の生き物「高収入妻」の波紋はあちこちに 第21回 複雑化する「女女間」格差

 対して今、状況は複雑化しています、同窓会に集まった人々の中には、働いている人もいれば、専業主婦もいる。既婚者もいれば、独身者もいる。そして子アリもいれば、子ナシもいる。……ということで、立場が皆ばらばらで、単純比較ができなくなったのです。
 お金持ちと結婚し、子供のお受験にも成功した専業主婦は、かつては同窓会において最もキラキラした存在でした。が、今時の同窓会には、外資系金融機関に就職して同僚と結婚し、自分も夫と同程度の高収入を得ている女性も出席しています。
 彼女は子供も二人産んでいて、小学校受験にも成功している。かつては専業主婦の母親を持つ子供しか受からなかった小学校受験も、世の中の変化に伴いその限りではなくなってきたのであり、キャリア妻は仕事と同等の力をお受験に傾注し、見事に合格を勝ち取るようになったのです。
 仕事も家庭もというキャリア女性を前にすると、専業主婦はどこか肩身が狭そうです。高収入女性が独身ならまだしも、彼女は結婚・出産・子供の受験と、自分と全く同じことをしているのに、自分には決して得られない高い収入とキャリアまで得ている。旧来型の専業主婦は、全てを持つ同級生と自分とを、つい比較してしまうのでした。
 夫自慢のポイントも、ずれてきました。夫がどれほどの立場にあり、いかに稼ぐかは、かつての女性同士の関係において、わかりやすい自慢ポイントとなっていました。が、今時の高収入妻にとって、それはさほど大きなポイントではない模様。彼女達の夫自慢のポイントとは、夫が家庭を回していく能力をどれほど持っているか、ということなのです。
 家の中の問題点は逐一話し合って、家事も子育ても夫婦で回していくのが、彼女達の家庭です。夫がしっかりと家庭運営に関わっていることがキャリア妻にとっては誇りとなるのであり、
「水回りの掃除はトイレも含めて全て夫がしているから、私はノータッチ」
 などと言い放ち、専業主婦をうらやましがらせるのでした。
 とはいえその辺りの感覚には、世代差があるようです。SNSを見ても、男女雇用機会均等法の施行から十年以内に世に出た初期キャリア女性は、仕事も子育てもしながら家事の多くは自分が担っていることが見て取れます。
「帰宅後、一回も座ることなくすぐに夕食作り。時間が無い時の定番料理は、夫も子供も大好きな肉豆腐です。週末に作り置きしておく常備菜を添えました」
 ということで、そこには美味しそうな肉豆腐と、煮物や和え物の写真が。「こんなに忙しいけれど食事は手作りしている頑張り屋の私」の存在が滲み出てきます。
 対して若めの女性の場合は、
「今日は在宅勤務の夫が子供のお迎え&夕食準備。帰宅すると、夫の得意料理であるクリームシチューとコブサラダが用意してあった」
 と、ゆうの写真がアップされています。
 彼女のアピールポイントは、「夫も自分も同程度に家事をしている」という部分でしょう。同じように仕事をしているのだから、妻だけに家事・育児の負担が重くかかってよいわけがない。夫にも家事や育児を担わせることが、今時の女性の甲斐性なのです。
 もちろんどの世代であれ、夫も家事・育児をすることは、時代の趨勢。となると、
「うちの夫は、お米を研いだこともないし、自分の靴下がどこに入っているかも知らないのよ」
 という状態に夫を仕上げることがかつての専業主婦にとっては一種の誇りであったのが夢のような時代となったことを感じます。
 稼ぐ妻達にとっては、自分の稼ぎに対して夫がどのような反応を示すかもまた、気になるところです。今や、妻の収入が夫よりも多いカップルも珍しくありませんが、その事実に対しては、「卑屈にならず、頼りにしない」という夫の態度が、妻達からは求められているのでした。
 少しずつ変化してきたとはいえ、「家の大黒柱は、夫」「家族のために稼いでくるのが、夫の役割」という認識は、多かれ少なかれ残っています。だからこそ、妻の稼ぐ能力が自分よりも高くなると複雑な気持ちになる夫もいるのだけれど、女性としてはそこで嫌みを言われたり、嫉妬されたりするのが最も困る。
 ここでも、世代によって妻の態度は微妙に異なるようです。上の世代の高収入女性は、「自分の方が収入が上」ということに妙な負い目を持ってしまい、自分の方が家計負担を多く持ちつつ、夫の面子を潰さないような心遣いをしている模様。対して若い世代は、
「収入なんて、単なる数字だし」
 などと、もっとあっけらかんとしているのです。
 そして卑屈になられることよりもっと困るのが、「頼りにされる」ということである模様。夫の会社が突然倒産したと聞けば、妻も、
「私が家族を養うから心配しないで」
 くらいのことは言うのです。しかしその発言は、夫がすぐに次の仕事を見つけることが前提でなされるもの。家事を担うようになった夫が、
「主夫って意外に楽しいね」
 と職探しをしなかったりすると、妻は「えっ」と思うのでした。高収入妻の中にも、「男はお金を稼いでくるのが当たり前」という意識はしみ込んでいるのであり、
「あの人の夫、働いてないんだって」
「ヒモってこと?」
「そうじゃなくて、主夫」
 などと友人達に囁かれることは、決してよしとしないのでした。
 高収入妻、という新種の生き物が世に増えてきたことによって、このように世の中には様々な波紋が生じているのでした。彼女達の存在によって、かつてあった女性同士の和は、乱れています。夫に米を研がせなかった専業主婦達は、自身での経済活動はせず、消費活動のみを行う存在。その同類意識による和が女性達の中にしっかりとできていたのが、経済活動も消費活動も旺盛に行う女性達の登場によって、「みんな一緒」という意識が持ちづらくなってきたのです。
 以前よく言われた「主婦感覚」という言葉は、夫つまりは他人が稼いだお金を消費する立場として、手間や時間をかけて倹約するという意味合いを持っていました。が、高収入妻は忙しいため、3円安い卵を買うために隣町まで行く時間を、他のことに使いたい。夫婦どちらも仕事も家事もする家においては、「主婦感覚」はもちろん、「主婦」「主夫」といった言葉も消滅し、仕事も家事も育児も、人として生きるための当然の行為として捉えられているようです。
 専業主婦を志向する女性も一定レベルで残りつつも、人材不足の日本においては、フルタイムで働く女性は増え、それに従って男性の家事負担度も増すことでしょう。男女の賃金格差も、少しずつではあれ、解消していくに違いありません。
「仕事だけしている人」と「家事・育児だけしている人」は、どうしても話が合いづらいものです。しかし性別に関係なく、仕事も家事も育児も担うようになっていけば、女性同士の間の分断も、そして夫婦間の分断も、薄れていくのではないかと思うのでした。

次回は4月5日(金)公開予定です。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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