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「不自然」な出会いマッチングアプリがあぶりだすもの 第20回 遠い昔のモテ至上主義時代

あってはいけない差別、使ってはいけない言葉。 昨今の「反・上下差」の動きは、2015年に国連加盟国で採択されたSDGsの広まりにより急速化した。 差別や格差を無くし、個々の多様性を認め横並びで生きていきましょう、という世の中になったかに見えるものの……。 貧困差別、ジェンダー差別、容貌差別等々、頻繁に勃発する炎上発言に象徴されるように、水面下に潜った上下差への希求は、根深く残っているのではないでしょうか。 名著『下に見る人』の書き手、酒井順子さんが、生活のあちこちに潜む階級を掘り起こしていく連載です。
イラストレーション:石野点子
イラストレーション:石野点子

第20回 遠い昔のモテ至上主義時代

 昨年秋頃から、マッチングアプリのコマーシャルが、テレビでも流れるようになってきました。従来は、いわゆる出会い系のサイトを規制する法律でテレビCMが認められていなかったのが、解禁されたようなのです。
 マッチングアプリの存在感は、ここ数年で、とみに高まっているのでした。街中のカフェなどでは、明らかにマッチングアプリでつながって初めて会っていると思しきカップルが隣の席に座ることも、しばしば。相手の人となりを知るための初々しい会話が、耳に入ってくるのです。
 次第に、
「その男はやめた方がいい!」
 とか、
「この二人はうまくいきそう。がんばれ」
 などと、私の中では老婆心(まさに)が波打つのですが、そのようなことはおくびにも出さずコーヒーをすする。
 経験者の話によると、マッチングアプリを使い続けていると、かなり疲弊するのだそうです。自分を一から相手にわかってもらうのも大変だし、会う人会う人「全然違う」という相手だと、激しく落ち込みもする、と。あるマッチングアプリの広告に、
「もう、合う人だけと、出逢いたい。」
 という文章がありましたが、それはアプリ利用者の切実な気持ちを集約させたコピーなのでしょう。
 とはいえマッチングアプリで男女が出会うことが、当たり前になってきた今。そのような現状を見ると、今の若者はモテを巡る格差の荒波から、ある程度は守られるようになってきたような気がするのでした。
 かつて若者達が求めていたのは、「自然な出会い」というものでした。お見合いなどでわざわざ出会うのではなく、日々の暮らしの中で異性と思い合って恋愛なり結婚なりに進むことが望まれたのです。
 実際は、「自然な出会い」を成立させるために、様々な権謀術数や手練手管が使用されていたのであり、自然な出会いほど不自然なものはありませんでした。それでもなぜ「自然な出会い」が珍重されていたのかといえば、「私は恋愛、もしくは結婚相手を求めてガツガツしているわけではない」という風を装う必要があったからです。

 

 日本ではかつて、恋愛結婚は主流ではありませんでした。結婚は個人同士がするものではなく、家と家がするものという感覚が強かったが故に、親が決めた相手とするのも当たり前。基本的には男女共学すら認められていなかった国では、「自然な出会い」は、望むべくもありませんでした。
 それが敗戦後、民主主義の洗礼により、結婚は個人同士が合意のもとにするものとなり、恋愛結婚が増加。一九六〇年代末にはその割合が逆転し、結婚相手は自分で探す時代となったのです。
 しかし恋愛結婚が増加しても日本人の中には、「見合いが当然」という時代の感覚が、微量に残っていたのだと思います。「相手をガツガツ求めなくても、いつか出会うはず」「出会いたくて仕方がない、という風には見られたくない」という気持ちがあったが故に重視されたのが、「モテる」ということではなかったか。すなわち、自分からがっついたわけではなくて相手に好かれてしまったんです、という状況が求められたのです。
「モテる」とはどのような状態を言うかといえば、並以上の好意を寄せてくる人、それも特に異性が、単独ではなく複数人いる、という状態を示すものと思われます。「モテる」は漢字で書くと「持てる」らしいのですが、モテる人とは、好意という玉のようなものを持ちきれないほどに寄せられてウハウハしている人、といったイメージか。
 日本の若者達は、かなり前からモテを希求していました。名エッセイストとしても知られる故伊丹十三は、『女たちよ!』に、
「モテるということが、今や男女関係の至上の物差しになってしまった」
 と書いています。一九六八年、高度経済成長期の只中にこの本は刊行されたのですが、若者達が盛んにモテを欲し、モテるためにあれこれと策を弄していることに対し、著者は苦言を呈しているのです。
「若い時にこういう物の考え方に慣れてしまうことは実に危い。一生、人を愛することのできない人間ができあがってしまう」
 と。
「モテる」とはすなわち、相手から好意を寄せられるのを待つという、受動的行為。「モテたい」という欲求が破れた時は、だからこそ「相手が悪い」という感覚につながってしまう、と本書にはあります。
 この本が刊行された一九六八年とは、まさに日本において、見合い結婚と恋愛結婚の割合が逆転する頃でした。自分の力で結婚相手を見つけなくてはならないけれど、自分からガツガツ行くことに対して躊躇しがちな日本の若者だからこそ、モテたいという受動的欲求を炸裂させたのではないか。
 

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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