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新種の生き物「高収入妻」の波紋はあちこちに 第21回 複雑化する「女女間」格差

あってはいけない差別、使ってはいけない言葉。 昨今の「反・上下差」の動きは、2015年に国連加盟国で採択されたSDGsの広まりにより急速化した。 差別や格差を無くし、個々の多様性を認め横並びで生きていきましょう、という世の中になったかに見えるものの……。 貧困差別、ジェンダー差別、容貌差別等々、頻繁に勃発する炎上発言に象徴されるように、水面下に潜った上下差への希求は、根深く残っているのではないでしょうか。 名著『下に見る人』の書き手、酒井順子さんが、生活のあちこちに潜む階級を掘り起こしていく連載です。
イラストレーション:石野点子
イラストレーション:石野点子

第21回 複雑化する「女女間」格差

 女女格差などという言葉が存在しなかった時代から、女と女の間には、確実に格差が存在していました。才能や容姿によってつく差ももちろんありましたが、「格差」という言葉を経済的な意味で使用するのであれば、それは父親や夫といった、その女性の後ろ盾となる男性の経済力の多寡によって決定づけられたものです。
 結婚後、女性は専業主婦となる道が主流だった時代、女性同士間での格差は、夫の甲斐性によって決定されました。有能でよく働く夫を持つ妻は経済的に豊かな生活を享受することができ、そうではない夫を持つ妻は、それなりの生活を送ったのです。
 ですからその時代、男性にとってはお金を稼ぐ能力が、そして女性にとってはお金を稼ぐことができる男性を選ぶ能力が、生活レベルを左右しました。親が子供の結婚を決めていた時代は、相手に娘の後ろ盾となる能力があるかどうかをいかに見極めるかが、娘を持つ親の甲斐性だったのです。
 女性は相手の男性次第で人生が決まる、という事実を示す言葉は、古来色々とあったようです。たとえば平安時代であれば、「さいわい人」という言葉が存在していました。
 この時代、「幸い」とは、自身の力で得た幸福を指す言葉ではありません。「幸い」は「幸福」と言うよりは、思いがけなく得ることができた「幸運」のことを指した模様。たとえばそれほど身分の高くない女性が、身分の高い男性から見初められることが「幸い」であり、そのような女性を「幸い人」と呼んだのです。
「源氏物語」に登場する明石の君という女性も、物語の中で「幸い人」と言われています。彼女は、偏屈な父親が都から明石に移り住んだため、鄙の地で寂しく暮らしていました。するとそこにやってきたのが、光源氏。彼は、都で女性関係のスキャンダルを起こし、そのほとぼりが冷めるまで田舎でちつきよしていたのです。
 父・入道は、鄙の地で暮らしながらも、娘の夫には一流の人物を、という野望を持っていました。好機到来、と入道は娘を光源氏に差し出し、二人は結ばれることに。明石の君は、やがて女児を出産します。
 一夫多妻が許された当時、光源氏は都にも妻格の女性がいたのであり、明石の君は、あくまで“現地妻”的な存在でした。しかし彼女が産んだ姫君は、長じて後に東宮に入内。のみならず男の子を産んで中宮になるという、女の出世コースを極めたのであり、そんな娘を持った明石の君の人生後半も安泰というわけで、彼女は「幸い人」と言われたのです。
 明石の君の場合は、田舎に住んでいた女性として日陰者扱いされたり、「田舎で育てたら将来に傷がつく」と、産んだ娘をすぐに光源氏に奪われて都で育てられたりと、ひどい目にも遭っています。しかし、やがてその子が中宮まで登りつめたことによって、明石の君の立場もアップ。夫と子の力によって、彼女は「幸い」を得たのです。
「玉の輿」というのもまた、女性の階級上昇を示す言葉でしょう。身分が高くない家の娘でも、容姿などが良ければ貴顕に嫁ぐことができるということで、今でも「玉の輿」はよく使われる言葉となっています。
 見た目は良いが出自は低い男子が、その外見を見込まれ貴顕の女性に嫁ぐ、という事例は、歴史の中にはあまり残っていません。女はカオ、男はカネが、より良い結婚相手を選ぶための資源となっていることが、よくわかりましょう。
 現代でもまだ、その傾向は残っています。見た目には恵まれないが経済力はたっぷり持つ男性が、自身の容貌とは釣り合いが取れない美貌の女性と結婚するというケースは、よく見るもの。
 女はカオ、男はカネという時代において、女にとって男のカオは割とどうでもいいものであり、また男にとって女のカネもまた、どうでもいいものでした。結婚生活という長い期間をより快適に過ごすには、ちょっとばかりカオが良い男よりも、カネを持つ男を女は好んだ。また男は、自身のカオを立てるために、自身よりカネを持つ女を必要としていなかったのです。
 そんな感覚を感じさせる最後の言葉は、「三高」です。バブル期の女性達は、経済力も学歴も身長も高い男性を求めたということなのですが、しかしそこには「自分よりも」という言葉が本来、入ります。様々な条件が自分よりも少しでも高い男性を、当時の女性達は求めていたのです。
 この時代にもなると、女性もある程度は経済力を持つようになっています。学校を卒業してすぐ結婚する人はいなくなり、女性も皆、就職するように。一九八六年には男女雇用機会均等法も施行され、キャリア志向の女性も少しずつ登場するようになってきました。
 とはいえまだ大きかった、男女の経済格差。結婚後の生活のために、そして「何でも男が上の方が落ち着く」という日本人に長年染み込んだ思い癖のせいもあって、「三高」の男性を女性達は求めたのです。
 しかしその後、状況は変わってきました。結婚しても出産しても働き続ける女性は増加。そして男女平等が進む世において、会社で出世する女性も増え、起業する女性も、珍しくなくなりました。
 結果として登場してきたのは、自分の力で多くのカネを稼ぐ女性達です。稼げそうな男性との結婚を目指して容姿を磨いたり、夫がたくさん稼げるよう内助に徹するといった回りくどいことをしなくとも、女性が自身の才能や努力をもって稼ぐという、シンプルな行動に出られるようになったのです。
 そこで目につくようになってきたのが、女性の中での稼ぐ能力の格差と、それによって生じる経済力の格差でした。かつては、働く女性といっても補助的な業務のケースが多く、それほど大きな経済力格差はありませんでしたが、今はやり方次第で女性も多くのカネを稼ぐことができるように。男性の世界では当たり前にあった経済力格差が、女女間でも目立つようになってきたのです。
 稼ぐ能力を持つ女性が増えてくると、そんな女性達に対する男性の対応も、分かれてきました。“稼ぐ女”に素直に敬意を持つことができる男性は、そんな女性と高収入家庭をつくることに。対して、“稼ぐ女”に脅威を感じたり、自身のプライドが傷つけられたりする男性は、専業主婦願望の強い女性と家庭を築くようになります。
 前者の場合は、生活に余裕はあるけれど男性も家事を担うことが必須となりますし、後者の男性は、家事は免れるが収入を得る人は一人しかいない、ということに。結婚をする時に、妻の経済力や、それに対する自分の認識をもしっかりと確認することが、男性にとっては不可欠になってきたのです。
 そんな世において、どのような人が“良い配偶者”なのかという感覚もまた、昔とは変わってきました。たとえば多くの女性が結婚して専業主婦となった時代、女子校の同窓会においては、夫の会社や地位が、自慢の種となりました。子供がどの学校に入ったかも含め、自分以外の家族の状況が、主婦の序列をつくったのです。

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新刊紹介

酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』など多数。

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