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「間違いなく男がいる」深夜帰宅した妻の嘘を見抜きながらも問い詰めなかった夫の心理(第8話 夫:康介)

「……梨花よ。家についたって連絡しただけ」

妙に落ち着き払った声でそう言った妻は、しかし口元に嘲笑を浮かべていた。

――男だ。

そう、直感で悟った。

康介もバカじゃない。コケにされ、見えすいた嘘に騙されるほど寛容でも鈍感でもない。しかし激昂し、頭に血が上っているにもかかわらず、咄嗟の判断でそれ以上の追及をやめた自分がいた。

力ずくでスマホを取り上げ、確認したっていい。夫である自分にはその権利がある。けれども妻の嘘を確信すればするほど、真実を暴くのが躊躇われるのだった。

結局、康介はそれ以上何も言わなかった。

リビングの真ん中で、無言で立ち尽くす夫を一瞥し、麻美は何食わぬ顔でシャワールームへと消えた。

既婚男を狙う危険な女……5年越しの告白

「うーん……確かにそれは、限りなくグレーかもしれない」

バーカウンターに肘をつき、赤く火照った頬を両手で抑えながら、小坂瑠璃子は艶かしく眉をしかめた。

「グレーというか、僕の中ではもう完全に黒だ」

ウィスキーを飲み干し、康介も半ば投げやりに答える。

クライアントとあまり近くなりすぎてもよろしくない。そう自分に言い聞かせ、瑠璃子とは距離をとろうとしていた。にもかかわらずまたしても二人で飲みにきてしまったのは、間違いなくまいっているせいだ。

まっすぐ家に帰る気になれず、誰かと飲みたい気分だった。そこにタイミングよく瑠璃子が書籍の発売日を連絡してきて「少しだけ飲みませんか」と誘われたのだ。

そして、お互い2杯目を飲み干そうかというところで「奥さんと仲直りできました?」と尋ねられた。その優しい言い方が胸に染み入り、康介は堪えきれず麻美の浮気疑惑を瑠璃子に愚痴ったのだった。

「女性不信になりそうだよ。まさか麻美に限って……」

康介はほとんどカウンターに突っ伏し、深いため息を吐く。その横で瑠璃子はしばし無言でいたが、低い声でおもむろに口を開いた。

「こんなことを言ったら失礼かもしれないけど……」

いったん躊躇うように言葉を切ってから、瑠璃子はまっすぐ前を見たまま続ける。

「櫻井先生の奥さんは、先生が思っているような女性ではないと思います」

「え?」

康介は一瞬、耳を疑った。驚き目を見開いて、瑠璃子の横顔を凝視する。しかし瑠璃子はこちらを見ようともせず、視線を逸らしたまま、さらに耳を疑うセリフを口にした。

「奥さんじゃなくて、私を選べば良かったのに」

一体、何を言い出すのか。康介は口を開いたまま言葉を失った。

瑠璃子の突拍子のなさは今に始まったことではない。これまでにも返答に困るような自虐ネタや、攻撃的な言い回しで唖然とさせられたこともある。しかしそれにしたってこれは……さすがに聞き流せない。

「小坂さん、何を言って……」笑って誤魔化そうとしたものの、鋭い視線を感じて口をつぐんだ。急にこちらを向いた瑠璃子の瞳は、物欲しげな湿り気を帯びていた。

冗談にはできないと悟り、康介はゴクリと唾を飲んだ。

(文/安本由佳)

※次回(妻:麻美side)は5月22日(土)公開予定です。

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山本理沙

やまもと・りさ●84年 東京都生まれ。日本女子大学文学部卒卒業後、外資系航空会社客室乗務員、金融機関・コンサルティングファームの秘書業務を経てフリーランスへ。
2015年〜2019年に東京カレンダーWEBにて『東京婚活事情』『結婚願望のない男』『東京ホテル・ストーリー』など多数執筆したのち、2020年10月講談社文庫より初書籍『不機嫌な婚活』を出版。よみタイで好評連載中の漫画『恋と友情のあいだで』(里奈Ver.)共著原作者。『不良夫婦』では(妻side)を執筆。

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安本由佳

やすもと・ゆか●81年 奈良県生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、化粧品会社広報、損害保険会社IT部門勤務を経てフリーランスへ。
2016年〜2020年1月 東京カレンダーWEBにて『二子玉川の妻たちは』『私、港区女子になれない』など多数の連載を執筆したのち、2020年10月講談社文庫より初書籍『不機嫌な婚活』を出版。よみタイで好評連載中の漫画『恋と友情のあいだで』(廉Ver.)の共著原作者。『不良夫婦』では(夫side)を執筆。

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