2026.10.27
「私は良い母親だろうか?」働く母の罪悪感はフィンランドでも同じだった
13年間、教師を続けてきた中で、忘れられない生徒はたくさんいる。
例えばシリア出身の学生がいた。母国での戦争があり、自宅への爆撃で片脚を失ってフィンランドに来た人だった。
「個人的な歴史を知ると、その人のことを忘れません。学生の名前だけでなく、その人の人生の物語を覚えているんです」
「それに、自分の教え方を好きになってくれる学生のことも覚えています。私の説明を聞いて『なるほど、わかった』という明るい顔になり、さらに質問してくれる。先生と学生の間に何かつながりが生まれます。私はそういう関係が好きです」
語学を教えるということに向いていると思うか、という質問に対しては、
「私の母語はフィンランド語ではないから、学んだ過程を覚えているということは言えます。フィンランド語は難しいんじゃなくて、単に大人が自分の知っている言葉と比べて『違う』言語なんだと思います。構造や単語が違って見えることを難しいと感じるのです。逆に、一般に英語は簡単だと言われるけれど、時制の変化や語彙数が多い。そういう意味では、どんな言語もまた『簡単』ではないんです」と答えてくれた。
ユリアのクラスで出会ったクラスメイトの年齢は17歳~74歳だ。その中でも、若い人たちはどんどん学んで卒業していくように見えるので、焦りもあった。
「若い人と言っても、勉強が苦手な人はいます。逆に年齢が高くてもとても熱心に勉強する人もいます。年齢が高くなると、記憶力が若い頃ほどよくないと感じるかもしれないけれど、それでも言語を学ぶことはできます。あきらめないで。結局、一番大切なのは本当に学ぼうと思っているかどうかです。簡単なフィンランド語で書かれたニュースや本などから始めればいいと思います。難しい文章を無理に読むより、自分が理解できる文章をたくさん読むほうがいいです」
「私のクラスには、世界中から来た生徒たちがいます。来ていない地域はないぐらいです。日本、中国、韓国など東アジアの学生たちの印象ですか? 勤勉な印象です。でもそれは、学校教育のスタイルの違いなのかもしれません。例えば中国とロシアの学生たちの共通点は、時間前に着席しているということです。とてもまじめな学生が多いですね。中国やロシアの生徒たちにとって、教師は権威ある存在のようです。場合によっては、その権威が強すぎることもあります。教師が知識を頭に流し込んでくれることを期待される場合もあります。でも、人間は一人ひとり違います。私は一つのグループだけを見て、『この国の人はみんなこうだ』とは言えません」
話を聞きながら、授業中に感じていたユリアの考え方を深く知ることができ、やっぱりこんな先生だったんだと嬉しくなった。そして私は知らないうちに、ユリアに自分の話をしていた。小さい頃から母親との問題があり家族が分かれて生活したことや、母親とはもう20年以上連絡を取っていないこと、0歳と6歳を東京でひとりで育てながら仕事をして、たくさんの人たちに助けてもらってきたこと――。
ユリアは大きく表情を変えずに、「大変だったですね。そんな話をしてくれてありがとう。そういう経験をしている学生も多いと思って、言いたくないことは言わなくていいと言っているんです」と言った。
私は急いで、「私のことなら、もう大丈夫なんです」と言った。
「20歳ぐらいまでは、それが自分の人生の欠陥に思えたけれど、それが逆に社会や世界に興味を広げてくれました。血縁とかではない、たくさんの人たちに助けてもらいました。人の話を聞くときにも役に立っていると思います」
びっくりした。自分のことを、こんなふうにフィンランド語で話したのは初めてだった。間違っても大丈夫だし、自分のことを安心して話せると思えると、こんな話もできるんだとわかった。ユリアは自分のことをあまり話さなかったけれど、かわりに私が話した。
以前の自分だったら、
「こんなレベルで“話せる”だなんて思ってる? 完璧にはほど遠い」
「他の人に比べて進歩が遅すぎる」
と、“いい気にならないように”ジャッジしてしまっていただろう。ずいぶん自分に寛容になったようだ。いったん会社員のレールをおりたからか、年齢のせいかもしれないけれど、寛容さをもって接してくれた、ユリアたち先生のおかげもあるように思う。
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そんなことを考えていたら昨日、私のSNSのタイムラインに、「日本語学校で勤め始めた」という人のつぶやきが流れてきた。外国人の学生たちに接するうちに、その文化や行動の違い以上に個性の違いを感じられるようになった。日本語を勉強している彼らが、幸せに生きていってほしいと思う、というような内容だった。
きっと日本で、様々な場で日本語を教えている人たちも、ユリアのような忘れられない出会いがあるのだろうな。
ユリアはこうも話していた。「人はどこの国にいても同じようなものだと思います。親切な人もいれば、厄介な人も、賢い人も、才能のある人も、単純な人もいます。でも世界には良い人の方が多いと信じたいです」
一つの新しい言葉を話せるようになるのは、他の何かに使えた膨大な時間をそこに費やしたということで、時間は人生そのものだから大きなことだ。異国でその国の言葉を学び、時には子どもを育てながら、そこで仕事や商売をして暮らしていくのは、もう「簡単なことじゃない」と何度言っても足りないぐらいだ。積み上げてきた仕事や暮らしがあるのに、ハードルを上げて無理なら出ていってくれと命じてくる社会は、一人ひとりの人生を軽く見ている社会なのだと思う。
(連載の文中の肩書や組織、値段や為替レートなどはそれぞれ2026年時点のものです)

第11回前編は2026年11/10(火)公開予定です。
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