よみタイ

日本から故郷・イランに戻ったレザーが、いまフィンランドで思うこと(第9回 後編)

フィンランドの首都・ヘルシンキにある「ヘルシンキ労働者学校」。
100年の歴史をもつこの場所で、元新聞記者の堀内京子さんはフィンランド語の教室に通いはじめました。
そこで出会ったのは、いろいろな国からそれぞれの理由で、この街へ来ることになったクラスメイトたち。
生まれ育った国を出る決断の背景には、どのような物語があるのでしょうか。
「ほぼ全員が(フィンランドの)外国人」という教室で交差した、ひとりひとりのライフヒストリーを紹介するルポ連載です。

前回に続き、日本に働きに来ていたレザーのその後の生活を聞きます。

第9回 日本で暮らしたことのあるイラン人のレザー 後編

 職場では頼りにされ、休日に遊びにいく友だちもでき、日本語もだんだん話せるようになり、「このまま日本で働いて暮らしていくのもいいかもしれない」とレザーがぼんやり思い始めたころ、終わりが突然やってきた。ある日、住んでいた東京・池袋のアパートで、傷害事件が起きたのだ。犯人は捕まったものの、周辺の聞き込みにきた警察官に「パスポートは?」と聞かれてオーバーステイが発覚。レザーは4年ぶりに、故郷のイランに帰国しなければならなくなった――。
 部屋に戻って自分で荷造りをすることはできなかった。工場の上司が、入管までレザーの持ち物を持ってきてくれた。「こんなことになって残念。もっといてほしかった」と言われたそうだ。
「すごい話ですね」と私は言った。私が大学生だった4年間、私と1歳違いのレザーがそんなふうに日本で過ごしていたとは。
いつもはお客さんの切れ目がないレザーの美容室は、インタビューのために改めて訪れた午前中、はからったようにお客さんがふと途切れていた。
 レザーは深刻そうにするでもなく、穏やかな笑顔をみせた。そこに「こんにちは!」と入って来たお客さんがいて、レザーとフィンランド語で話し始めた。私は店のソファーに座ってレザーがいれてくれたコーヒーを飲みながら、メモを読み返した。

 レザーはイランに戻ってしばらくして結婚し、初めての子どもが生まれるというときに、家族でイランを出ようと決めた。当時は、多くのイラン人が、カナダやアメリカに移住していたという。レザーも最初は北米を目指したが、知り合いからフィンランドも子どもたちの学校と病院が無料だと聞いて、それはいいと思ったのだそうだ。
 若いころは、自分の感覚でいろいろな冒険ができても、家族ができると、選択肢は子どもたちにとっていいことかどうかがより重要になってくる。

「でもレザー、そのときはフィンランド語も分からないよね? うまくいくか、怖くなかった?」と私は聞いた。ふと考えてみると、この連載の中でも、私は国を出た話をしてくれる相手にたいていいつも「怖くなかったんですか」と聞いている。私は怖かったのだ。でも、みんな、軽々と国境を越えているように見える。レザーもそうだ。

「どうだろう、なんとかなると思ったのかな。怖いとは思わなかった。若かったからね」
 レザーはフィンランドに来て最初の3か月の間、外国人向けに開かれていたクラスでフィンランド語を学んだ。最初は、フィンランドでの仕事の見つけ方が分からなかったし、知り合いもいなかったので、工場に直接、「働く人は必要ないですか」と聞いて回ったのだそうだ。

記事が続きます

1 2

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント

関連記事

堀内京子

ほりうち・きょうこ
ライター。1997年から2023年まで新聞記者。退職し、現在は二人の子どもとヘルシンキに滞在。著書『PTAモヤモヤの正体』(筑摩選書)、共著に『徹底検証 日本の右傾化』(筑摩選書)『まぼろしの「日本的家族」』(青弓社) 『ルポ税金地獄』(文春新書)、朝日新聞「わたしが日本を出た理由」取材班として『ルポ若者流出』(朝日新聞出版)がある。

[週間ランキング] 今読まれているホットな記事