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いつも鏡を見てる

58歳男性がタクシー会社の面接に落ちまくる理由とは?

会社から借金したまま消えた男

 戸田葬祭場での、このやり取りで顔合わせを済ませていたせいだろうか、磯辺健一は、あの日とは打って変わって100年前からの知り合いみたいな笑顔を向け、出社したばかりの私に話しかける。

「本山さんって、あんたと同じ日に入社したんだよね。音信不通だってさ」

「音信不通って」

「無断欠勤が続いたから連絡したらしいんだけど、何べん電話してもぜんぜんつながらないらしいよ」

 こうして話していても、磯辺に対して抱いた無頼のイメージは初対面のときと同じだった。いや、むしろ強まったかもしれなくて、「昇り龍を背負ってるから半袖のシャツは着れないんだ」と彼が告白したら、だろうと思った、と答えてしまいそうだ。

「逃げちゃったんじゃないかな」と、彼の言葉を軽口でつないだのは工場長だった。

「あいつ、入ってすぐ、会社から借金したんだよ。10万円。生活費がぜんぜんないからって。つり銭も借りてるらしい。出番のたびに1万借りて、それが2回。12万借りたまま連絡してこない」

 聞いた瞬間、北光では古参のひとりに数えられる運転手が、しばらく前に、本山と私の事情を訳知り顔で話したのを思いだした。

「あんたもそうだけど、12月に会社を移ってくるんだから、よっぽど金に忙せわしいんじゃないのか」

「おかしいだろ、やつが住んでるのは大森だぞ。大森から板橋のタクシー会社まで通うって。東京の端から反対側の端までなんて」

「あんただってそうだよ、新宿に住んでるんなら、中野とか高円寺とか、近くにいくらだってタクシー会社があるだろうに」

 12月に転職するとなぜ「金に忙しい」となるのか、彼の言葉の意味はよくわからなかったけれど、あの口ぶりからすると、本山も私も切羽詰まって入社祝金を目当てに北光にきたに決まってるとでも言いたかったのかもしれない。さすがの古参も、タクシー会社の、極端な買い手市場になっている近ごろの状況はご存じなかったようだ。

 本山とは3日前に会っていた。入社した翌日、遠方からの通勤を疑った古参の運転手が指導係になってクレジットカード端末機の扱い方や売上げを入金する機械の操作方法などを教えてくれたのだけれど、本山と私は、その新入社員研修をふたりで受けた。会ったのはそれから5日後、お互い、仕事にでるようになって2乗務目を終えた日の明け方、となりどうしで洗車しているときだ。40歳の頃から正社員としての職がなく、コンビニの雇われ店長をしていたが、仕事がきつく、それでいて給料が安くて生活が楽ではなかったので47歳のときにタクシー運転手になったのだと彼は言った。経験は浅く、横浜で1年、それから東京で地理試験を受けて東京無線グループの会社に入ったけれど、2か月で退社して北光に移ってきたのだという。離婚した奥さんに渡す養育費を稼ぐのが大変なのだとも話していた。その本山が、たった二乗務しただけで音信不通になった。

「入社祝金の20万円、入った?」

 愛想のいい小柄な男が聞いた。この男は、私より半年ほど早く、よその会社から移ってきた運転手だと誰かが言っていた。

「うん。もらった」

「それで逃げちゃったのかな」

 もらったと答えたとたん、彼は「あっちゃ~ッ」とばかりに顔をしかめ、「ぜんぶで32万円か」とひとり言のように呟いた。この男、自分の思いがわかりやすく顔にでるたちのようだ。ナイト勤務の工場長を除く私たち三人が営業にでたのは、それから一五分ほど後のことだった。

パチンコのビギナーズラックと似ている

 愛想のいい彼の名が『豊田康則』だと知ったのは、西新宿で回送表示をだして一目散に帰庫し、洗車を済ませて自販機の横で一服しようとしたときである。買ったばかりのハイライトの封を切り、一本とりだしたときに「豊田さんッ」と誰かの大声が聞こえ、振り返ると帰庫したばかりの黒塗りから渋い顔で降りたのが彼だった。

「CX(=フジテレビ)で4時間も粘ったのに、結局は空振りだった」

 彼は3万5000円しか持って帰れなかった(水揚げできなかった)理由を口にしながらショートホープを取りだし火を点けた。歳がひとつしか違わないのに、はるか年上の老人のように腰を曲げて歩く、ひどい腰痛持ちの彼を「豊田さん」と私が呼ぶようになったのは、このときからだった。

 お台場のフジテレビには、出演者や番組制作スタッフの送迎のために常にタクシーが待機しているのだけれど、ここで仕事ができるのは、東京無線グループや中央無線グループなど五つの無線グループ・会社のうちの選抜された運転手に限られている。我が北光自動車交通に割り当てられた選抜運転手の数は三人。そのうちの二人が豊田康則と工場長で、彼らは、フジテレビに出入りする資格を得るために中央無線の特別な講習を受けた選抜組なのだ。

 船の科学館の近くに中央無線グループの車両のための待機所があって、そこで無線配車を待つのは午後8時から翌朝の5時までと決まっている。この間に配車を受けるのだけれど、基本的には並んだ順だから、運転手たちは早い時間からお台場の周辺でそのときを待ち、午後10時になったとたん待機所に滑り込む。午後8時を過ぎたあたりから、お台場、お台場とそわそわしてくるらしいから、それまでの稼ぎはせいぜい2万円くらいなものだ。フジテレビで少なくとも3万、悪くても2万は揚げないことには格好がつかないが、勝負をかけたところで、勝ちが約束されているわけではない。この日の豊田がそうだった。配車されて走った先は、東雲までの3000円弱、九段下までの約5000円、いちばん遠くまで走った先は東池袋で、料金は7000円。どれも税込みの数字だから、実際の水揚げは1万6000円くらいのものだろう。これが粘ったあげくの結果だった。豊田がフジテレビで無線待ちするようになったのは四か月ほど前からだというが、その初っぱなにまわってきたのは、有名な女性プロデューサーを静岡県の熱海市まで送る仕事だった。運賃は5万円を超えている。それで味をしめた。日車営収が4万円の時代である。深夜の繁華街で、当てもなく、来るか来ないかさえわからない客を待ち続けるより、フジテレビでの無線待ちの方が割りがいい。そう考えた。人生初のパチンコで大勝ちしたビギナーズラックによく似てる。また勝てると勘違いして通い詰めてしまう。タクシー仕事は、長い目で見れば地道な流し営業がいちばんだと豊田自身も先人の教えの正しさを知っているけれど、それでもやめられないフジテレビ詰めなのだ。

(以下、次回に続く)

 全文無料公開「いつも鏡を見てる」次回は12/10(金)公開予定です。

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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