よみタイ

いつも鏡を見てる

58歳男性がタクシー会社の面接に落ちまくる理由とは?

まさかの内定取消し

 日車営収が4万円。この数字は、「タクシーで稼ぐのは難しいです」と求職者に向けて公言しているも同然なのだが、しかし、人材確保に困っている様子がまるでないタクシー業界。本当は困っていないのだとしたら、私は、まったく的外れな自信を持ってしまった勘違い野郎だったことになる。相手の方が強いとわかったとたんしおらしい態度に豹変する雄ネコのように、態度をあらためる気になった。俺は、ぜんぜん〝願ってもない人材〟なんかじゃない、「どうか私を採用していただけませんか」の姿勢を示さないとだめなようだ、と。

 尻尾を巻いて反省したとたん、偶然かもしれないが成果がでて、チェッカー無線グループに加盟している東日本交通が内定をだしてくれた。適性検査とやらのペーパーテストに取り組んでいる最中に、席を外していた採用担当者はリッチネット東京に電話を入れ、私の働きぶりについて問い合わせをしていたのだ。後に知るのだが、リッチネットの責任者は、問い合わせに「引き止めたんですが」と回答したというから、それが効いたのかもしれない。採用担当者は合否をはっきり言わないまま今後のスケジュール云々をしきりに口にするものだから、尋ねた。

 内定ということでしょうか。

「はい。健康診断を受けていただいて、それで問題がないようでしたら」

 聞いた瞬間、胸のうちで、やった~ッ、と叫んでいた。8社目にして、ようやく内定したタクシー会社だった。通うとなると京王線でなら新宿から15分。通勤が楽な、格好の職場だと喜んだのだ。ところが、まさかの通知が数日後に届く。不採用だった。健康診断の結果、中性脂肪だの尿酸値だのの数値が悪かったとかが理由だった。そんなの、ありがちな成人病だろ、と毒づいたところで結果が覆るとは思えなかった。なにしろ、人材はいくらだってやってくる。タクシー会社は、そのことをよく承知しているのだ。

 アメリカの投資銀行、リーマンブラザーズの経営破綻の余波を受けた日経平均株価は7000円台まで急落し、バブル崩壊からこっち、ずっと低迷を続けてきた日本経済は、ここにきて「100年の1度の不況」に襲われている。「景気が悪くなると、日常生活のなかで『なくても困らない』ものが売れなくなる。花は、その代表みたいなものだ」と言ったのは、オイルショックの時代、私のタクシーに乗り合わせた花屋さんだった。40年近くも前に聞いたあのときの言葉を、近ごろ、よく思いだす。タクシーも同じだ。たとえば株価の大幅な下落とか、景気悪化の兆候が顔をだしたとたん、世の中が不況を実感するずっと前に、まずタクシーの水揚げに影響が表れる。悪い話は、まずタクシーから、なのである。けれど、逆はない。製造業の設備投資が増えたとか不動産業界が元気になりはじめたとか、景気の先行きを教える指標が少しくらい上向いたところで、その程度ではタクシーの水揚げはぴくりとも反応しない。世の隅々まで好景気の波が行き渡って初めてタクシーにも余波が伝わってくる。悪い話は最初にきて、いい話は最後にならないとタクシーにはまわってこないのだ。いま、日経平均株価は1万円前後。世の中は、いつ好転するとも知れない不況のなかにある。

 景気が悪くなるとタクシー運転手が増えるのはずっと昔からの決まり相場だが、リーマンショックの影響が言われるようになって以降、もしかするとそれ以前、アメリカの低所得者層向けの住宅ローン、サブプライムローン問題が顕在化して世界経済の行方が怪しくなって以降、その傾向が、ここ何年か極端な形となって表れているのかもしれない。そうでなければ、こうもたて続けに不採用が重なるわけがない。そんななか、中央無線グループ(解散)に加盟する北光自動車交通株式会社(現在は大和自動車グループ)が私の採用を決めてくれたのは、東日本交通に内定取消しを告げられてから間もなくのことだった。東武東上線・東武練馬駅にほど近い場所にあり、車両保有台数こそ39台(現在は107台)と小規模ながら、1951年(昭和26年)創業の老舗である。池袋駅から各停に乗って7つ目が東武練馬駅で、南口をでて飲食店が並ぶ道を50メートルも進めば東上線に並行する旧川越街道に当たる。わずかながらも旧街道の名残を想わせる、住んでいる新宿とはまるで様子が違う街並みの北町商店街が続いている。道をはさんでこっち側は板橋区だが、向かい側は練馬区北町だ。逆に、駅の北口を降りると飲食店が並ぶ道の先に信号機付きの交差点があって、その角には東武練馬のランドマークと言っていいイオン板橋ショッピングセンターがどんと構えている。北光自動車交通は、そこから直線距離にして300メートルくらいの場所にある。就職活動を開始してほぼ2か月後の12月14日、応募すること9社目にして、やっと決まった働き場所だった。

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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