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58歳男性がタクシー会社の面接に落ちまくる理由とは?

タクシードライバーの職務経験を持つノンフィクション作家・矢貫隆さんが、ご自身ふくめて様々な背景を持つ多くのタクシードライバーたちの人生を徹底取材して描いた、ドラマティック・ノンフィクション『いつも鏡を見てる』。 日経新聞などの書評欄でも紹介された、昭和・平成・令和を貫くタクシードライバーたちの物語を、期間限定で全文無料公開します!(不定期連載) 前回までは、大分から上京した中年男性の物語でした。 今回からはリーマンショック後の東京を舞台に、時代の波に翻弄されるタクシー運転手が主人公です。

いつも鏡を見てる 第17話

四章 リーマンショックと5人の交差点 【東京 2010年~2013年】

北光自動車交通 2010年12月14日

 初乗り運賃が650円の時代に5万8000円あった東京のタクシーの日車営収は年を追うごとに下がり続け、15年経ったいま、初乗り710円だというのに3万9000円台にまで落ち込んでいた。

 もちろん2種免許は持っている。地理試験は、8か月くらい前に東京タクシーセンターに出向いて「一般」で受験して合格し、たった3か月間だったけれど、洒落た名のタクシー会社、リッチネット東京で運転手として働いた。地理試験の合格と引き換えに手にした運転者証は、タクシー会社を退職しても3年間は有効だ。未経験者とは違い2種免許の取得から地理試験合格までにかかる養成費用がいらず、その気になれば明日からでも営業にでられる即戦力である。願ってもない人材とはまさに私のことで、タクシー会社には大歓迎されると見込んでスタートさせた就職活動だった。いや、実際のところは、入社するのはたやすいとかなんとか、その種の思いがそもそもなかった。応募さえすれば、無条件で採用が決まるものだと思い込んでいた。

 乗務員を募集するウェブサイトから応募した大手4社(大和、日本交通、帝都、国際)*1のうちのひとつ、日本交通からは、2週間も経ったのに音沙汰がない。ないわけがないのにないとなると、パソコンに不具合があってメールが届いてないのか、あるいは採用担当者がちゃんと仕事をしていないか、たぶん、そのどちらかだろう。だからといって、送り直す気にはならなかった。問い合わせの電話をしようとも考えなかった。雇ってくれるタクシー会社はいくらでもある。

 板橋区内にある春駒交通は、希望の条件のひとつ、車内防犯カメラを設置している。そこで働くのが決まれば入社祝金10万円が支給されるのも魅力ではある。電話で応募し、指定された日に面接に出向いた。先方の所在地は板橋区の端で、私が住んでいるのは新宿だから、職場が近くとはいかないが、電車通勤ならJR埼京線で乗り換えなし。30分とかからない。通勤は楽そうだし、いいんじゃないのかな、春駒で。すでに春駒交通の運転手になった気分で、最寄りの浮間舟渡駅から目的地までの10分ほどを歩いたのを覚えている。

 ところが、驚いたことに、面接から4日後に届いたのは「今回はご縁がなかったということで」の結果だった。なにかの間違いだろ。俺を採用しないなんてどうかしてるんじゃないのか。頼りなさそうな採用担当者だったし、やつの目は節穴なのか。不採用を知った彼の上司が慌てて電話をしてくるかもしれないが、しかし、私の気持ちは、もう、いいや、になっていた。春駒は、接客に厳しい決まりがある日本交通グループの一員である。ドアを開けるたびに「ありがとうございます。わたくし、△〇グループ〇×交通の□△でございます」の挨拶から始まるのが接客の基本で、営業中もちゃんと実践しているか覆面調査まであるのだと面接では聞いていた。実のところ、勘弁してもらいたいと思っていたのだ。俺にはできそうもないな、と。

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矢貫 隆

やぬき・たかし/ノンフィクション作家。1951年生まれ。龍谷大学経営学部卒業。
長距離トラック運転手、タクシードライバーなど多数の職業を経て、フリーライターに。
『救えたはずの生命─救命救急センターの10000時間』『通信簿はオール1』『自殺―生き残りの証言』『交通殺人』『クイールを育てた訓練士』『潜入ルポ 東京タクシー運転手』など著書多数。

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