2026.8.13
『みいちゃんと山田さん』は、まぎれもなく〈文学〉である──作者が仕掛けた主題から最終回を予測する
無垢さを美化することと生活を共にすることの、決定的な隔たり
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「たすけて」
「ころされる!」
ある日、連絡が途絶えていたみいちゃんから突然、山田さんのもとにメッセージが届く。みいちゃんの家に駆けつけた山田さんが目にしたのは、DV気質の彼氏と激しく喧嘩する、みいちゃんの姿だった。その事件がきっかけとなり、二人は山田さんの家で一緒に暮らすようになる。
しかし二人の共同生活はうまくいかない。みいちゃんは冷蔵庫にあるものを勝手に食べたり、山田さんが漫画を描くために買った20万円の液晶タブレットを勝手にいじってしまう。円滑な共同生活ができるよう、山田さんは生活上のルールを逐一紙に書いて壁に貼ることによって、みいちゃんのことを管理しようとする。
そんな日々のなか、山田さんは仕事へ向かうみいちゃんの背中を眺めながら、ふと思う──デリヘルに出勤する人を見送るのはなんだか辛い。母親もキャバクラで働く私に、こんな感情を抱いているのだろうか。
そこから、山田さんはまるで母親のように、みいちゃんに対して過干渉になっていく。
山田さんはキャバクラをやめると、みいちゃんにもデリヘルをやめるよう迫る。半ば強引にみいちゃんからスマホを取り上げ、デリヘル店の連絡先を勝手に削除する。
今度は普通のバイトをさせようと、みいちゃんに履歴書の書き方を教え、面接の特訓をする。その甲斐もあって、みいちゃんはパン屋のバイトに合格する。しかし店にたまたまデリヘル時代の客が来てしまい、店長に過去を知られたみいちゃんは、即日解雇されてしまう。
仕事を失ったみいちゃんは、山田さんの留守中に、どこからか部屋に男を連れ込み、身体を売ることでお金を稼ごうとする。帰宅した山田さんが目にしたのは、自分のベッドの上で知らない男と性行為をしている、みいちゃんだった。
「みいちゃんってなんのために生まれてきたの? なんで生きてんの?」
山田さんから真顔で詰められたみいちゃんは、泣き叫んで暴れはじめる。すると、それまでポップで可愛らしい絵柄で描かれていたみいちゃんが、突如として、写実的で醜悪なタッチで描かれる。

暴れたみいちゃんは、山田さんが漫画を描くために買った20万円の液晶タブレットを床へ叩きつけ、壊してしまう。「みいちゃん 悪くないもん!」と言うみいちゃんの顔を、「ふざけんなよ!!」と山田さんは思い切りぶん殴る。
みいちゃんと同棲を続ける自信がなくなった山田さんは、翌日、みいちゃんに地元の宮城へ帰るように告げる。
「宮城の山でタンポポでも摘んでなよ!」
山田さんがみいちゃんのことを庇うきっかけとなった、みいちゃんがキャバ嬢に吐き捨てられた暴言を、今度は山田さんがみいちゃんに言い放つ。みいちゃんは山田さんからの別れの言葉を、静かに俯きながら受け入れるのだった。
*
『みいちゃんと山田さん』の後半で描かれたのは、弱者の無垢さを美化しその存在に救われることと、弱者と現実に生活を共にすることとの、決定的な隔たりだった。
物語前半の山田さんは、みいちゃんに子ども時代の自分を重ね、本当は自分のそばにいてほしかった理想の母親を演じることで、かつての自分を救い直そうとしていた。しかし、ひとたび生活を共にすると、山田さんは自分を抑圧した母親と同じようにみいちゃんの生き方を管理し、ついには暴力まで振るってしまう。
理想の母親になろうとした山田さんが、自分がもっとも憎んでいた母親そのものへと同化してしまう。それに呼応するように、山田さんの目に映るみいちゃんも、救うべき無垢な存在から、拒絶すべき醜悪な存在へと変わっていく。ポップで可愛らしく描かれていたみいちゃんが、突如として写実的で醜悪な存在として描かれたシーンは、山田さんの眼差しが反転する瞬間を描いていた。
そしてその事件を機に、二人の人生は、まったく正反対の方向へと分かれていく。
山田さんは漫画を描き、出版社に作品を持ち込みながら、本格的に漫画家を目指す道へと踏み出していく。一方、みいちゃんは、宮城の実家でも家族とうまく暮らすことができず、河川敷でホームレス生活を送るようになる。そして中学のころのいじめっ子に目をつけられ、最終的には河川敷で命を奪われてしまう。
みいちゃんとの出会いを通じて、山田さんは創作者になる道へと導かれた。つまり、みいちゃんは山田さんにとって、創作のきっかけを与えてくれた存在──「ミューズ」だった。しかし創作者となる山田さんとの別れを境に、みいちゃんは死へと向かう道をたどっていく。
後半ではっきりと描かれた、ミューズであるみいちゃんと、創作者である山田さんの決定的な格差。これこそがまさに『みいちゃんと山田さん』が初めから自覚的に据えていた主題であると思うのだ。
というのも、『みいちゃんと山田さん』第一巻の第二話で、山田さんがキャバクラの待機時間中に読んでいた、ドイツの詩人・ノヴァーリスの『青い花』がまさに、ミューズである少女が死へ向かう一方、その少女との出会いによって主人公が創作者へと目覚めていく物語だからだ。
『青い花』のあらすじはこうだ。主人公の青年ハインリヒは、夢の中で一輪の青い花を見る。花の中心には人間の顔が浮かび、彼はそれに強く惹きつけられる。やがて旅に出た彼は、少女マティルデと出会う。マティルデの顔は夢の中で青い花に浮かんでいた顔で、ハインリヒは恋に落ち、彼女との出会いを通して詩人として目覚めていく。しかし、ミューズとなったマティルデはやがて死んでしまう──他者との出会いが創作者を生み、その他者は愛の対象であると同時に、創作を導く理想の象徴となる。ミューズと創作者の関係を描く物語の、原型の一つともいえる作品だ。
そんな『青い花』という小説が、第一巻では、みいちゃんと山田さんの格差を示すシーンに登場する。山田さんは『青い花』を読んでいるが、みいちゃんは「青い花」という漢字すら読めない。それはまるで、これから描かれる「ミューズ/創作者」という関係性に、「弱者/強者」という非対称性が重ね合わせられることを、あらかじめ宣言するかのようなシーンだ。
そして『青い花』という小説がミューズである少女マティルデを「花」として描いたのとは対照的に、『みいちゃんと山田さん』は創作者の山田さんのほうを「花」として描き、ミューズのみいちゃんを「雑草」として描く。
先にも見たように、これが『伊豆の踊子』であれば、「河原者」と侮蔑されることもあった社会的弱者側の旅芸人である踊子を「花」に見立てるという反転があり、その反転にこそ『伊豆の踊子』の文学性の一端があった。ところが、『みいちゃんと山田さん』にはそうした反転がまるでない。山田さんとの対比において、弱者であるみいちゃんは常に「雑草」であり、「花」としては描かれない。花火大会では背景に雑草が描かれ、最後は雑草の生い茂る河川敷で殺されてしまう。
そうした物語構造。「ミューズ/創作者」という関係に「弱者/強者」という社会的格差を重ね、その非対称性を決して覆さないところにこそ、『みいちゃんと山田さん』独自の文学性があるのだ。
とどのつまり『みいちゃんと山田さん』とは、「みいちゃん(=ミューズ=弱者=雑草=死)」と「山田さん(=創作者=強者=花=生)」という、圧倒的な格差のある二人の出会いから別れまでを描いた物語なのだ。
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※ここからは、8月16日(日)に配信予定の『みいちゃんと山田さん』最終話に関する筆者の予想を含みます。最終話を予備知識なく自分の目で確かめたい方は、ここから先を読まないことを推奨します。
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そんな『みいちゃんと山田さん』は、8月16日(日)に最終話が配信される予定だ。これまでの考察をもとに、その結末を予想してみよう。
『みいちゃんと山田さん』は、「創作者とミューズの関係」を主題とする物語だと読めるのだった。そうであるなら、結末で問われることはただ一つ。創作者である山田さんと、ミューズであるみいちゃんの関係性に、どのような決着をつけるのか、ということだ。
おそらくその答えは、漫画家を目指す山田さんが、亡くなったみいちゃんについての漫画を描く、という形で示されるのではないかと思う。
山田さんが亡くなったみいちゃんのことを漫画に描くこと。それは恩返しなのか、追悼なのか、贖罪なのか、それとも搾取なのか。答えはきっと、そのどれでもあり、そのどれか一つに還元することはできない。ただ等身大のみいちゃんを描き、みいちゃんのことを忘れないこと──それだけを目的とした漫画を、山田さんは描くのではないだろうか。
先に、みいちゃんが山田さんとの対比のなかで「花」として描かれることはない、と書いた。しかし唯一の例外とも捉えられるシーンが、第一巻の冒頭にあった。みいちゃんの墓を訪れた山田さんが、一年前に手向けた花が枯れているのを見つめるシーンだ。

「去年持ってきた花…そのままだ」
「もうあれから何年経ったんだろうね?」
みいちゃんは死んだあと、山田さんが手向ける供花を通して「花」と結びつけられる。しかしその花さえも、誰にも手入れされないまま放置され、枯れてしまい、ほとんど雑草と見分けがつかない姿で描かれている。
山田さんはおそらく、一年ごとに供花を取り替えにきている。新しい花を手向けては枯れ、また手向けては枯れる。その繰り返しが何年も続いてきたことが、冒頭のシーンでは仄めかされている。
供花には、死者を悼み、感謝を伝えるとともに、その人のことを忘れずにいるという意味が込められている。冒頭のシーンには、みいちゃんのことを忘れないために手向けた花が、放置されたまま枯れてしまうこと──つまり、山田さんが何度みいちゃんのことを思い出しても、みいちゃんが忘れられていってしまうという諦念が描かれている。
『みいちゃんと山田さん』は、山田さんのそうした諦念から始まっている物語なのだ。だからこそ山田さんは、みいちゃんが忘れられていくことに抗うために、みいちゃんのことを漫画に描くのではないだろうか。
思えば、山田さんにとっての創作の原点もまた、花だった。幼い山田さんが母親を喜ばせようと描き、ゴミ箱に捨てられてしまった花の絵こそが、山田さんの創作の原点だった。
だから山田さんは、みいちゃんのことを漫画に描き、まさに8月16日のお盆の日に、その漫画をみいちゃんの墓前に手向けるのではないかと思うのだ。
そしてその漫画にはきっと『みいちゃんと山田さん』というタイトルがつけられているはずだ。
『みいちゃんと山田さん』という漫画がたくさんの人に読まれ、みいちゃんが多くの読者の記憶のなかで生きていることを証拠に。
もう二度と枯れることのない、供花として。
(了)
次回連載第14回は9/17(木)公開予定です。
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