2026.9.23
「自分の機嫌は自分で取る」ことを強いられる社会で「孤独」であるということ【こんな質問が来る 第12回】
ジロウがXに返答やリアクションを載せると、たびたびSNS上での「バズ」や時に「炎上」が起きる……
前回は、推しの不祥事や裏切りに直面した人から投げかけられる質問を考えました。
今回でついに最終回。これまでの連載でも触れてきた「孤独」について改めて論じています。

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「自分の機嫌は自分で取る」がマナーの時代
たとえば、こんな質問が来る。
「結婚したら孤独やさみしさはもう感じませんか?」
季節の変わり目や街が華やぐイベント、また世の中がなんとなく浮き立つ連休の時期などによく来るタイプのお便りである。孤独とは厄介なものだなといつも思う。欠落や喪失に関連する感覚なのだろうが、これぞと思った仕事や趣味、また、運よく手に入れることができた流行りの特効薬(たとえば「寄り添ってくれるパートナー」とか)を自分の孤独にあてがってみたところで、「なんか、思ってたのとちがうな……」と首をかしげるだけのことも少なくない。
「仕事でも毎日誰かと会って話しているし、友だちもSNSのフォロワーもそれなりにいます。なのに、どんどん寂しい気持ちになっていくのはなぜでしょうか?勝手に病んでしまいます」
こんなふうに切実な質問も来たりするのだが、これもまた、あなたにはあなたの孤独がある、と風邪薬のCMのようなことしか言いようがないものである。毎日たくさんの人に会っているがどこか寂しい。そして、家族を持ったことでかえって深い孤独を知る経験なんて、いまどき珍しい話でもない。少なくとも、そばに誰かがいればそれでよいというわけではない。そんなことは、ある程度の大人ならみんなそれぞれ思い当たる節のあることだろう。だから、若さゆえに「勝手に病んでいる」というわけでもないのだ。裏を返せば、大人になったらいつか「大丈夫になる」というものでもない、ということなのだが。
では、僕たちはいつも、そばにいる誰かといったい何を話して、どのように過ごしているのだろう。
現代のわれわれの日常的なコミュニケーションのあり方については本連載でも何度か触れてきたが、その大きな特徴は「地雷」へのリスク感覚といえるだろう。自分と相手の間には地雷原が広がっている。うっかりそれを踏み抜いてしまうことで、相手、または自分を大きく傷つけてしまうと関係が破綻する。何があってもそれだけは避けねばならない。そんなプロトコルである。
その結果、向かい合う二者の関係は、あらかじめ設定された目的からはみ出さないことが身を守る術であり、また生き残る術となる。
職場など公的な場面においてはイメージしやすいかもしれない。「仕事の関係は仕事だけ」の範囲の外には踏み出さない。なんといってもわれわれの日常は地雷原なのだ。足を踏み外してしまえば、どうなるか分からない。しかし、それは公的な場面のことだけでもなさそうだ。たとえば、こんなお便りが投げ込まれたことがある。
「覚悟決めて「寂しいから構って」って言ったのに「その発言、恥ずかしくないの?」って言ってきた男のことを思い出した。覚悟決めていたので「恥ずかしくないです」とだけ応えた」
二人の関係はわからないが、ある程度以上、親密な関係であることは間違いないだろう。まさに現代のプライベートな関係で繰り広げられる葛藤の機微である。「自分の機嫌は自分で取る」が人間関係におけるマナーとされる時代である。たとえ親密な関係にあっても、自分の思いのすべてを相手にぶつけたい……そんな欲望は憚られるようになった。ふたりきりの間柄でさえ、「言えないこと」「言うべきでないこと」が増えているのだろう。
しかし、本当に「自分の機嫌は自分で取る」のならば、一緒に幸せになったり、あるいは一緒に悪いことをして大笑いしながら地獄に堕ちてくれるパートナーなど、そもそも必要ないのである。「自分の機嫌は自分で取る」ことを強いられるのであれば、そばに誰がいようがその人は孤独なままだろう。
以前、とくに中高年の男性が孤独・孤立に陥りやすいことが社会問題化しているという話をしている時にこんな声があった。
「男の人間関係はサッパリしていて羨ましいとかいうやつ、サッパリというより浅すぎるだけなのかもしれない」
ここで問われているのは、ふだん関わり合っている人の数ではない。何人と会ったかではなく、そこで何をやりとりしているのかだ、というわけである。もっともな話だと思う。それが「浅い」のであれば、そのやりとりの中身を充実させるとは、具体的にどういうことなのだろうか。より信頼される同僚になること。より気の利いた友人になること。よりよい恋人になること。つまり、その関係のために設定された目的を期待された通りに果たすということなのだろうか。こんなお便りもあった。
「自分のスキルを色んな人が評価してくれるのは嬉しいのですが、それ以外は求められていないような気がして……」
こちらもなんとなく分かるような気がする。先ほど少し触れた男性の孤独をめぐる問題も、要は会社での立場など社会的役割を軸にした人間関係ばかりになりがちというものだった。とはいえ、大人の日常生活のほとんどは社会生活に費やされているのが普通であり、そこで役割だけが求められているのか、その人自身が求められているのかは常に曖昧なことである。
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