よみタイ

曖昧にして確固たる存在感を放つ「おふくろの味」…「胃袋を摑む」料理とは?

あらゆる選択肢のなかから、食の楽しみを自由に得られるようになった現代日本で、
本当の「おいしさ」はどこにあるのか——?
『異国の味』『東西の味』に続く、稲田俊輔による「味3部作」連載、第3弾!

今回からは「煮込み料理」編。
はてさて、肉じゃがって、最近いつ食べましたか?

肉じゃが 〜良妻賢母思想によって祭り上げられた家庭料理の象徴〜

 ごく私的な話から始めます。
 僕が後に結婚することになるある女性とつきあい始めたのは平成初期で、僕は学生、彼女も同学年でした。つきあい始めてからしばらく経ったある時、彼女の一人暮らしのマンションで晩ごはんを作ってもらう、という特大イベントが発生しました。
 その時の僕の様々な思い—「ここまで来たか」という感慨であったり、なんとも言えないこそばゆさや緊張感であったり——ここはそういった青春の機微を書く場所ではないので、まあその辺りはすっ飛ばし、早々に料理そのものの話に移ります。
 その日の献立は、忘れもしない、肉じゃがと鰤ぶりの照り焼きでした。あとはご飯とお味噌汁、もしかしたらちょっとした小鉢的なものもあったかもしれません。その食卓を前にして、僕は「おお……」と、ある種の感動を覚えていました。彼女の普段のキャラから見て、このようなコンサバティブ極まりない料理が登場することは全く予想していなかったからです。
 そして正直に言うと、僕は肉じゃがも鰤の照り焼きも、あまり好きな料理ではありませんでした。ただしもちろんこの状況において、それはあまりにもささやかな問題です。僕は喜びに包まれながら、それを夢中で平らげました。不思議とおいしかったです。
 後に判明したことですが、彼女自身、どちらもそんなに好きじゃなかったそうです。そしておそらく、それまでの外食デートを通じて、そういう食べ物の好みはお互いある程度把握していたと思います。デートで食べるのは、エスニック料理であり、イタリアンであり、そして学食では学食らしからぬチョップドサラダなんてものを食べていました。しかしこのシチュエーションにおいては、当たり前のように肉じゃがと鰤の照り焼きが登場した、というのがこの話のキモです。

「得意料理はなんですか?」という質問を受けたことはありますか? 
「ある」と答えた人は、おそらく女性が多いのではないでしょうか。そして少なくとも前述のエピソードの舞台となる平成初期において、これは概ね独身女性のみを対象とする質問と言ってよかったのではないかと思います。
 この質問は、ある種の誘導尋問でした。質問者はおそらく、この会話の最後を「きっといい奥さんになるね!」と締めくくりたかったはずだからです。そう締めくくるための模範解答のひとつが「肉じゃが」でした。「鰤の照り焼き」も、そんな模範解答群の一翼を担っていたと思います。つまりそれは、昭和の価値観が平成になってもなお引き継がれていた、「良妻賢母思想の亡霊」のようなものでもあったような気もします。
 あの時の彼女の肉じゃがは、そういうある種のお約束をとりあえず一度は実施しておく、そんな通過儀礼だったのかもしれません。少なくとも彼女はコンサバティブとは言えないタイプでしたが、そんな彼女であっても「一度くらいはそんなこともしておくか」と自然に思ってしまう、そういう世の中の空気感があったのではないでしょうか。そして僕の記憶が確かならば、その後の人生において彼女が肉じゃがを作ったことは、ほぼ皆無に近かったはずです。

記事が続きます

 さてそんな家庭料理の象徴とも言える肉じゃがですが、個人的な肌感覚としては、その人気は徐々に薄れつつあるような気もしています。というか、肉じゃがが得意料理の模範解答だった時代においても既に、「でも実は男ってあんまり肉じゃが好きじゃないよね」という話題もまた定番でした。
 昨今は更に、「煮物」という料理ジャンル自体がかつてより廃れています。和食というカテゴリーそのものは以前にも増して地位を高めています。しかしそこにおける「和食はヘルシー」というストロングポイントとは無縁の肉じゃがは、そのトレンドの恩恵を受けていません。むしろ芋&甘い味付けという基本設計が糖質過多で不健康とみなされかねません。時には、芋をおかずに米を食べるなんて、という「炭水化物重ね」が、揶揄の対象になることすらあります。
 平成初期における「男ってあんまり肉じゃが好きじゃないよね」という話題は、そこから「だって酒にも米にも合わないし」という理由付けに至るのも常でした。その感覚は当然今もそのまま引き継がれているでしょうし、令和の今はそれに加え、和食なのに別にヘルシーじゃないし、見た目も地味でオシャレとは無縁だし、そのくせいざ作るとなったらけっこう面倒だし案外高度な技術も要する、みたいな存在になっている気がします。

イラスト:森優
イラスト:森優

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稲田俊輔

イナダシュンスケ
料理人/飲食店プロデュ―サー/「エリックサウス」総料理長。
鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。
2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店。南インド料理とミールスブームの火付け役となる。
SNSで情報を発信し、レシピ本、エッセイ、小説、新書と多岐にわたる執筆活動で知られる。
レシピ本『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『ミニマル料理』シリーズ、エッセイ『おいしいもので できている』『食いしん坊のお悩み相談』『異国の味』『東西の味』、小説『キッチンが呼んでる!』、新書『お客さん物語』『料理人という仕事』『食の本 ある料理人の読書録』など著書多数。

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