2026.6.15
わたし自身とわたしの身体は、ただのモノとして投げ出されているように感じられた【第16回 生きることへの断絶を抱えて】
日々を過ごすなか、また、過ぎた時間のなかに、惑い途方にくれること、悔恨、屈託、解放されたこと…暮らしの断片と陰影を、歌に込め文に紡ぐ短歌エッセイです。
バナーイラスト/鈴木千佳子 本文写真/著者提供
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どんな日もわたしはここに立つてきた朝陽入りたるこの台所
これまで繰り返し台所のことを書いてきた。自分でも不思議に思っていた。なぜ何度も台所のことを書いているのだろうか、どうして台所について書き続けているのか、と。
台所に閉じ込められたように感じたことを書いた。台所を捨てて逃げ出したくなった日のことを書いた。台所での営みが苦しくなるということについて書いた。
台所はわたしにとって苦しみを生んだり、困難を感じたりする場所であったが、それだけではなかった。台所はわたしにとって、苦しみや困難と同時に、フロイトの言葉で言えば、生命を維持し、統合し、創造する力「生の欲動」をなまなまと刺激する場であった。
台所に象徴される、食べるもの、食べること、生きること、生活を作り出すことに向き合い、それを日々繰り返していく営為がなければ、とうの昔にわたしは自分の身体を「単なる道具」にしてしまっていただろう。
それだけの素地は十分にあった。人生を戦って勝ち進んできた強い両親のもとで育ち、自分も強く、正しくあらねばならないという葛藤を抱えていた。九歳のときに遭遇した性暴力被害によって自分は他人にいかようにもされると叩き込まれた。十四歳のときの白血病との一年間の闘病体験では、わたしの身体は病と戦うモノになった。十代後半からずっと抱えている摂食障害によって、わたしは三十年経った今でも食べることを自然に営めないでいる。
それらの体験は、わたし自身とわたしの身体を大きく断絶させてきた。わたしの身体は自身のものではなく、「他者にどうにでもされてしまう/他者から管理される」ただのモノとして投げ出されているように感じられた。レイプでは、わたしの身体は自分の意志が入り込むことのできない、ただの他者のための道具になり果ててしまった。白血病の闘病体験では、わたしの存在はまるで病気の身体とイコールになってしまい、そこには番号や数値以外のものが入る領域がほとんどなくなってしまったように感じられた。
そのようなことから、わたしはずっと身体をわたしではないものとして、あるときは便利に使い、あるときは復讐をする道具として使役し、またあるときはこの世にないものとして無視した。
わたくしの身体はわたしのものでなくたましひを容れる器でもなく
今でもよく覚えていることがある。三十代のときに頻繁に夢見た光景だ。わたしは、ホテルのような小さなワンルームに暮らしている。部屋には大きなベッドと机と椅子だけがある。そしてワインの瓶(その頃のわたしはアルコールをまだ飲んでいた)。わたしは裸でその部屋に暮らしていて、やることと言ったら書くことと眠ることとお酒を飲むことだけだったのだ。
今になると、このイメージの痛々しさがよくわかる。わたしは自分の感情や経験を確かめるためにどうしたって言葉が必要だったし、苦難に満ちた世界に自分がいることを不確かにするために、意識をおぼろにするアルコールの慰めがないといられなかった。現実からの逃避としての睡眠が必要だった。そしてそれ以外のものは、自分には荷が重すぎる、あるいは不要だとすら思っていたのだ。実際には普通に暮らしながらこんなことを夢想していたとは、今思ってもなんと痛々しいことだろう。
わたしはこのような時代を経て、その間も食べることへの断絶をずっと抱えてきた。それでも今こうやって生きてこの原稿を書いているのは、やはり台所があったからだと思うのだ。
わたしの著作を読んだ人が、「こんな人がどうして結婚して子どもを持てているのかわからない」、あるいは「こんなに大変な経験をした人にかける言葉が見つからない」と言うことがある。人がそう思うのはよくわかる。わたしが抱えた困難さを列挙していくと、なんと凄まじく見えるのだろうと自分でも思う。わたしの人生と、人が一般に送る生活には、それほどの隔たりがあると思われても仕方がない。
わたしは食べること、それに伴う営み、ひいては生きることそのものへの断絶を抱えながら、それでも、いやそれだからこそ台所を愛した。
工夫して手作りの食事を用意し、パンやお菓子を作り、毎日せっせと台所を磨いた。そこに熱意を注ぐことで、生きている実感がなく、困難と苦痛に満ちた世界からなんとかバランスを取ろうとするようだった。実家の台所ではなく、結婚して自分の家族を持ち、わたしの台所を持つようになっておよそ三十年になる。

台所には自然がある。水があり、火があり、野菜やくだもの、肉や魚がある。わたしはそこで食材を切ったり、刻んだり、つぶしたり、漉したりした。焼いたり、煮たり、蒸したり、揚げたりした。時にはなんということのない簡素なものを作って食べ、あるときには驚くべきごちそうを作って、それも食べた。
うまく食べられないときもあった。とてもうれしく食べたときもあった。一人で食べることは稀だった。今でも、毎朝、毎晩「ごはんだよ」とわたしは家族を呼び、集まって食べ、そしてまた別れる。それは、日単位だと永遠に続くかのような繰り返しに見えるが、年単位で見ればあっという間のことだ。
こうやって人は育ち、成長し、共に生き、いつか別れて、そして死んでいくのだと思う。そのまんなかにはやっぱり台所があるとわたしは思う。
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