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子どもたちの「見えない友だち」の正体とは? 京都大学教授・森口佑介氏インタビュー

「私が思い浮かべる『赤色』と、あなたの頭の中の『赤色』は、本当に同じ色?」
こんな問いを考えたことがある人は多いかもしれません。
そういった「赤い感じ」や「コーヒーの香りのあの感じ」等は、〈クオリア〉と呼ばれています。

重要なテーマであっても、これまで科学的にアプローチしにくかった〈クオリア〉。
そこにいま、様々な分野の最先端の研究者たちによる、新たな研究が進んでいます。
〈クオリア〉を探求する多様な研究者に話を聞く、インタビュー連載です。

私たちにとっての身近な他者が、子どもだ。幼い子どもたちは、大人とは違う認知的な世界に生きている可能性がある。私たちが忘れてしまった子どもの内面世界に、科学的な手法で迫る森口佑介さん(京都大学)は、子どものクオリアと「見えない友だち」について研究しているという。

(聞き手・構成・文責:佐藤喬、特別協力:藤原真奈)

森口佑介(もりぐち・ゆうすけ)■京都大学大学院文学研究科 教授。専門は発達心理学・発達認知神経科学。著書に『つくられる子どもの性差 「女脳」「男脳」は存在しない』など。
森口佑介(もりぐち・ゆうすけ)■京都大学大学院文学研究科 教授。専門は発達心理学・発達認知神経科学。著書に『つくられる子どもの性差 「女脳」「男脳」は存在しない』など。

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子どもには「見えない友だち」がいる

4,5歳くらいの子どもには、目に見えない友だちがいるかもしれません。実在しない、空想上の友だちのことです。これを研究者は、「イマジナリーコンパニオン」(IC)と呼びますが、一般的には「イマジナリーフレンド」のほうがよく知られた呼称かもしれません。

ICは実在しないのですが、子どもたちに尋ねると、「髪の色は茶色で……」とか、「すごく優しいの」とか、まるで本当にいるような答えが返ってきます。名前を付けていることも多いですね。しかも、そういった返答はその場の思い付きではなく、数カ月にわたって安定しているんです。少なくとも、子どもたちの心の中にはずっとICがいるということです。

日本ではフィクションのテーマになることも多いICは、珍しい現象のように思われるかもしれません。しかし英米では3~4割の子どもがICを持った経験があることがわかっており、珍しいものではありません。

ただし、興味深いことに、ICを持つ子どもの割合には文化差があり、日本の子どもでは数%くらいしか持たないといわれています。その代わり、日本の子どもは、ぬいぐるみなど実在する物体に名前や人格を持たせるタイプの、広義のICを持つパターンが多いことがわかっています。

「見えない友だち」の正体とは?

私はここ10数年ほどICの研究をしてきたのですが、ICについては他にも興味深いことがいくつかわかりました。

まず、ICを持つ子の傾向です。「女の子」「一人っ子または第一子」「社会性が高い」といった特徴がある子ほど、ICを持ちやすいことがわかりました。典型的には、第一子である女の子が、母親が第二子を身ごもったタイミングで見えない友だちと遊ぶようになる……といったパターンが見られます。

この傾向については、もともと社会性が高い子どもが、親の関心が第二子に向くなどして寂しくなったときにICを生み出すのではないか、と解釈できます。つまり、一種の創造性の現れですね。

もう一つ、非常に興味深かったのは、ICの「実在性」です。

健常な大人も、そこにいない話し相手を思い浮かべたり、頭の中で話しかけたりすることはあるでしょう。しかし、そういった相手が実在しないことはよくわかっているはずです。

ところが、子どもたちが同じような状況に置かれると、目に見えないはずの空想の相手のことを「見る」のです。専門的な装置を使って子どもの視線を追うと、目が、実在する人間を見ているときのような動きをすることがわかったのです。

この研究では、「子どもは『見えない友だち』を実際に見ている」と結論づけられるほどの結果は得られませんでしたが、少なくとも、見ているような体験をしている可能性は小さくないことがわかりました。子どもは、私たち大人とは異なる認知的世界に生きているのかもしれません。

イメージ画像:PIXTA
イメージ画像:PIXTA

子どもであるとはどのようなことか?

私が、意識研究の学際的な試みである「クオリア構造学」に参加しているのは、ICの研究をしていたときに、クオリア構造学の代表者である土谷尚嗣さんと知り合ったこともありますが、子どもが見ている世界と大人のそれとの違いに、もっと迫りたくなったからでもあります。

ICについての研究結果を見る限り、子どもたちが大人とはかなり違う世界に生きているらしいことはわかりました。でも、ICは大人にとってはあまりに異質ですから、子どもの認知的世界との違いを理解する手掛かりにはなりにくい。ですから、大人と子どもの接点になり得る、もっと基礎的な感覚を求めて、子どものクオリアの研究をはじめたのです。

別の表現をすると、「子どもであるとはどのようなことか」を科学的に知りたくなった、とも言えます。アメリカの哲学者トマス・ネーゲルが、主観的な「心」を論じることの難しさを「コウモリであるのはどのようなことか」という論文で書いていますが、それに似ていますね。

たとえば、わかりやすい例を挙げると、大人と子どもは目線の高さが違いますよね。だから、文字通り見ている世界が違うはずです。それだけでなく、子ども時代はものすごく広く見えた道が、大人になってみると意外と狭く感じたりとか、世界の質感が違う。もしかしたら、子どもと大人とでは、大きさのクオリアも違うのかもしれません。

ただし、私たちはコウモリであったことはありませんが、全員が例外なく、かつては子どもでした。その意味では、子どもは動物のように異質な他者かもしれないけれど、動物とは違い私たち大人と連続した存在でもありますから、面白いですね。

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佐藤喬

作家・フリーの編集者。著書に『エスケープ』(辰巳出版)、『1982』(宝島社)、『逃げ』(小学館)など。構成作は『動物たちは何をしゃべっているのか?』(山極壽一/鈴木俊貴、集英社)、『AIに意識は生まれるか』(金井良太、イースト・プレス)ほか。

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