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年末年始は魔の時?【逃げる技術!第6回】苦しかったら距離をとって

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人前で妻を「バカ」と呼ぶ男

年末年始は、このようにいつもは隠れていた「旧弊さ」と遭遇する危険のひそむ季節でもあります。それを異国からの旅人のようなまなこで見つめて「異文化交流」としてエンジョイできればいいのかもしれませんが、素直な心で巻き込まれてストレスを受けると、くたびれてしまうでしょう。

わたしにも、いま思い返すとああしんどいなぁ、というお正月の思い出があります。お正月に夫の実家にいくとかならず、ある男性が彼の奥さんを「バカ!」「このバーカ」と呼びつけるのをたびたび聞く羽目になるのでした。一瞬、墨を呑んだような気持ちになります。座がシーンとして、わたしも、他の人も、聞かなかったふりをするのです。当時は平気なつもりでいたのですが、トゲのように胸の奥に刺さっていたようで、いまでもしょっちゅう思い出してしまいます。

ああ、あとさき考えないで「バカっていうほうがバカですよ!」と、小学生みたいなセリフでいいから代わりにいえばよかった!といまは思います。

細かく気を回して、家の中の仕事をほとんどすべてやってくれているありがたい人のことを、日常的に「バカ」と呼ぶような環境に育ったのだから(そうやって、家の中の「お母さん」をこき使いながら軽んじる家庭ってないですか?)、わたしの夫が妻となったわたしのことを「ブタ」「奴隷」などと呼び、「これだから東大卒は使えない」だとか「俺がF1ならお前は軽自動車」「人間としての能力がそもそも違う」だとかいっていたのは、あたりまえのことなのかもしれません。

もしかしたら夫は、それこそが正しい女性の扱い方だと誤学習していた可能性だってあります。ただ、そんな環境で育ってもそうはならない人もおおぜいいます。また、そうなりかけても、道を修正できる人もいます。

高齢の女性が、小さな女の子のように口をとがらせて

配偶者から「バカ」と呼ばれたときのその女性の顔はよく憶えています。微笑むように口角を上げて、きりりと口を閉じて、それでいて拗ねた幼女のように唇をとがらせて、目はどこか遠くを見ているのです。70代の女性が、です。

あの顔は小さかった頃、わたしもピアノを失敗して母親に怒鳴られたときにしていたので、ああよくわかる、と思うのでした。なぜ自分の表情を憶えているかというと、黒いつやつやとしたピアノに自分の顔が映るからです。
音を間違えて弾くと母に叩かれます。そしてわたしがその顔をするのです。すると「また口をとんがらせて! 態度が悪い」とさらに叱られます。そして5歳だったわたしは、「そっか、この顔のことを『口をとがらせる』というのかー!」と学習したのでした。

みじめさに負けないために口角を上げるのです。泣かないように、ぴったりと口を閉じるのです。いいかえせない無念さで、唇が前に突き出るのです。ですから、人前で配偶者からしばしば「バカ」と怒鳴られた彼女のあの表情の意味は、よくわかります。

叱り飛ばす教育は、脳のメモリのムダ使い!?

余談ですが、音を間違えると母に叩かれていたわたしは、小学校に上がってピアノをやめてしまいました。あのまま習っていたらいまでもピアノが弾けたかもしれないのに、と少し残念に思います。

でも、楽しかったという記憶はありません。なので、自分の子どもたちがピアノを弾きながら「おおー、これかっこいい!」と笑ったり、勝手に作詞作曲したり、コードをすらすら展開したりするのを見ると、驚いてしまいます。

教育において叱らないことが絶対の正義だとは思いませんが、リラックスしてやっているので、同じ時間の中からでも、より多くの細やかなものを学び取れるのだろうか、と見ていて思います。学校や園でも、習い事でも、あまり怒鳴られずに学ぶ環境にある現代の子どもたちのことが、少しうらやましくもあります。

一方で、親のほうは「教え方も時代によって変化している」ということを特に教わることなく我が子と接します。そして都市部では中学受験や小学校受験が激化しており、幼少期から塾通いを続ける子も増えています。

スポーツや英語、音楽などの早期教育もさかんです。その中で、親が子ども時代に自分が受けてきた教育スタイルを踏襲し、我が子を厳しく導こうとし、結果として「教育虐待」と呼ばれる状態になってしまう不幸なケースも起こっていると聞きます。

いつ叱られるかわからないような環境にいると、子どもは「どうか今日は怒られませんように」という意識に脳のメモリをたくさん割くことになるでしょう。それでは学ぶことを「楽しむ」ことはおろか、習熟や習得の効率も下がります。とてももったいないことです。

子どもという自分とは異なる人格を持つ相手を、あたかも所有物のように感じてコントロールしようとするという意味では、これはDVと相似の問題かもしれません。

悪い場面から、離れられる年になりますように

わたしはDVから逃げたときにこれを実感したのですが、いつ叱られるかわからない環境にいると、人間は「いつ攻撃がくるか」ということに意識を集中させて生きざるをえません。パワーを消耗します。

スマホでいうと、バックグラウンドですごくメモリを食うアプリがずっと立ち上がっているような感じです。なのでマシンの動作がとても重くなってしまい、すべてのパフォーマンスが落ち、バッテリーを消耗し、鈍重になり、失敗が増えます。そしてDVをする側はそれをめざとく見つけて、すかさずまた叱り飛ばすのです。

おそらく他のハラスメントやいじめ、虐待などでも同じことが起こっているのではないでしょうか。そういう環境から離れることで、きっと人は本来の力を発揮できるようになります。

もし、そういった場面がみなさんの暮らしにあるのだとしたら――ないほうがいいのですが――今年はぜひそこからパッと離れたり、「それはよくないよ」「おかしいよ」といったりできる年になりますように。

当連載は毎月第1、第3月曜更新です。次回は1月15日(月)公開予定です。

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藤井セイラ

編集者、エッセイスト。2児の母。東京大学文学部卒業後、広告・出版を経てフリーに。子育てに関連する勉強が好きで、気がつけば、保育士、学芸員、幼保英検1級、絵本専門士、小学校英語指導者資格、日本語教師、ファイナンシャルプランナー2級など、さまざまな資格を取得。趣味はマンガとボードゲーム。苦手なものはお寿司。最近、映画館で観たのはプリキュア。

X(ツイッター) @cobta https://twitter.com/cobta

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