2026.8.7
伊藤泰藏 山中湖畔を拠点に店舗・別荘・住宅をデザイン【実録・メンズノンノモデル 第9回 前編】
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華やかなモデル陣に「負けてたまるか」という反骨心は密かにありました
彼がメンズノンノモデルを務めたのは1994年から1997年にかけての約3年間。当時はいわば、外部のモデルエージェンシーに所属する錚々たる人気モデルたちの全盛期で、専属モデルが主要ファッションページに登場する機会が今と比べてかなり少ない時代だった。それでも伊藤は、そのキャラクターを生かして、たびたび彼らと誌面上で共演した。
伊藤 周りは華のある人たちばかり。リヒトくんに(サーフェン・)智くん、津野(貴生)くん、(井浦)新くん、櫻田(宗久)くん、そして伊勢谷(友介)くん。もう強敵だらけ(笑)。もちろん「負けていられないぞ」という気持ちはありましたけど、自分は自分らしく、求められる仕事をしようと。それこそ、スタイリストさんがつかず、私服で出るような取材もののページとかも多かったので、「今日は何を着て行こうか」、「ちょっとパンツだけ変えてバリエーションを出してみようか」などと、いつもコーディネートのことを考えていましたね。

「泰藏くんなら、私服で誌面に登場してもまったく心配ない」。編集者たちの間でそんな共通認識があったほど、彼の服選びとコーディネートのセンスは際立っていたという。ファッションページだけでなくさまざまな取材企画でも重宝され、何よりそのおおらかで優しい人柄も相まって編集部では常に愛される存在だったそうだ。
伊藤 編集の方々からは本当によくしてもらいましたし、僕もしょっちゅう(編集部のある)神保町に遊びに行っていましたよ。そういえば、猪野正哉くん(現・焚き火マイスター)とはメンズノンノモデルの同期でもあったのでよく一緒に飲んでいましたね。今もたまにSNSでメッセージのやりとりをしています。まあ、振り返ってみてもいい思い出ばかりです。普通の生活をしていたら経験ができないようなことにたくさん触れさせてもらいましたし、沖縄やオーストラリアにも撮影で行かせてもらいました。それに、モデルをやっていたことで、多少なりとも今の仕事に繋がるコネクションができた部分もありますしね。

そんな伊藤が地元の山中湖村に戻ったのは、1997年にメンズノンノモデルを卒業してすぐ。幼少から、貸別荘業を営んでいた父親を手伝う形で建築や大工仕事に接していたが、本格的にその道に進むことを決意したからだ。
伊藤 親父がセルフビルドで増改築しているのを昔からよく見ていたし、手伝っていました。だから、中学、高校の頃から左官(※漆喰やモルタルの壁、床などの塗り上げ)なんかはよくやっていました。それもあって、基本的にはモデル時代から建物を作るようなことをやりたかった。インテリアも好きでしたしね。一方で、俳優に興味を持ったことももちろんあって、メンズノンノモデル時代の終盤はそれを視野に入れてモデル事務所にも所属していたんです。でも当時の社長と折り合いが悪くて、2〜3ヶ月でその事務所を辞め、メンズノンノ卒業後、山梨に戻りました。
8月8日(土)午前9時公開の後編では、「墨壺屋デザインワークス」の屋号のもと、日々取り組んでいる現在の仕事について詳しく語っていただく。
(8月8日(土) 午前9時公開の後編に続く)

PROFILE
1975年北海道生まれ、山梨県育ち。1994年10月号で第9回メンズノンノモデルに選出され、1997年まで専属モデルとして誌面に登場。ファッションページから企業タイアップ、アウトドア企画などの取材ページまで幅広い分野で活躍した。卒業後、地元である山梨県山中湖村に戻り、弟の亮陽とともに起業。「墨壺屋デザインワークス」を立ち上げ、店舗・別荘・住宅の空間デザインや、リノベーション、什器制作などを継続的に手がけている。特殊モルタル塗装やエイジング加工などを得意としており、また古民家鑑定士の資格も持つ。これまで施工した物件に、「yl&Co. Hotel in Mt.Fuji」、「kagelow Mt.Fuji Hostel Kawaguchiko」など。
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後編(8月8日午前9時公開)に続きます
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