2026.7.4
髙橋義明 「建築」の視点を持ちながら、これからもアートと向き合っていく 【実録・メンズノンノモデル 第8回 後編】
今回のゲストは、メンズノンノモデル卒業から7年が経った今も雑誌や広告のモデルとして活躍中の髙橋義明さん。かつて武蔵野美術大学で建築家を志していた中、メンズノンノモデルになった経緯などを語った前編に続いて、 後編では、彼の建築や美術との向き合い方の変化について聞いてみた。
取材・文/徳原 海 撮影/山田 陽
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作品を、”つくる”ほうから“編集”するほうへ。変化した建築や美術との向き合い方
メンズノンノモデルを卒業後も、引き続きモデルと並行しながら自身のルーツにある「建築」の文脈のもとアーティスト活動を行っていた髙橋義明。その拠点として、彼がまだメンズノンノモデルだった2016年に、大学の同級生とともにアトリエを立ち上げた。当初はEast Factory Art Galleryという名称で運営していたが、3年前、リニューアルしたタイミングで「東葛西1-11-6 A倉庫」に改名した。
髙橋義明(以下、髙橋) リニューアルする前までは、自分たちの創作と発表の場を兼ねたインディペンデントなスペースでした。ここでどんどん作品を作り、外で発表しながら生きていけたらなと思っていたのですが、立体作品やインスタレーションが多かったせいか、肝心の作品が売れなくて……。というか、今振り返って思えば、売れると思ってもいなかった。僕はモデル業もやっていたおかげで、あまりお金の心配をせずに作品を作って発表できていたのですが、いつの間にか、身内だけが集まるクローズドな状態になってしまったんです。メンズノンノモデル時代からファンでいてくれた人たちがたまに来てくれたときも、「作品に興味があるんじゃなくて、ただ僕に会いに来ただけなんだろう」なんて思ってしまったり。
閉ざされたコミュニティーの中で、アーティスト活動にも行き詰まりを感じる髙橋。そんな彼に、追い討ちをかけるようにおとずれたのがコロナ禍だった。しかしその逆境が彼の考えを大きく変換させた。

髙橋 それまで自分は一人でいることが好きな人間だと思っていたんですけど、(コロナ禍で)強制的に人と距離をとらなければならない状況になって初めて、実は自分は周りに人がいないとだめなんだということに気づいたんです。そのときに思い出したのが、建築に夢中になっていた大学時代と、メンズノンノモデル時代のこと。その、活き活きとしていた時代の環境にもう一度身を置かないと自分に先はないなと。だから、自分が今いるこのアトリエをもっと外に向けて開いていこうと、あえて住所そのままの名前で屋号をとり、気になるアーティストたちに「ここで展示をやりませんか」と声をかけるようにしてきました。
これをターニングポイントに、髙橋義明の仕事は、作品を“つくる”ほうから“編集”して見せるほうへ、言わばアーティストからキュレーターのような立ち位置へと変わっていった。
髙橋 自分の中ではこれまでにない変化でした。以前は、他のアーティストのことはライバルだと考えていたけれど、自分が壁にぶち当たってものが作れなくなったときも、地道に活動を続けていた彼らに、純粋に学びたいなと思い始めたんです。そして実際に会って話してみると、みんな他の作家さんへのリスペクトがベースにあって。「こういう世界でみんな作品を作っていたんだな」ということを知って、救われる思いでした。そこからは数珠繋ぎで、いろいろなアーティストの方との出会いに恵まれているんです。


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