よみタイ

「親孝行ができていない…」と悩む人に伝えたい「ターン制」という考え方【こんな質問が来る 第8回】

社会学者の中井治郎さんが運用する「ジロウ」というX(旧Twitter)のアカウントには、匿名で質問を投稿できるウェブサービスを通して毎日50個以上の質問が届く。
ジロウがXに返答やリアクションを載せると、たびたびSNS上での「バズ」や時に「炎上」が起きる……

前回は、「旅行ジャンキー」を自称する中井さんが旅の楽しみ方を綴りました。
今回、よくある「親孝行」に関する質問について考えます。
イラスト/みやままひろ
イラスト/みやままひろ

記事が続きます

親子の景色は数十年で様変わり

 たとえば、こんな質問が来る。

「親孝行ができていません。基本的に親は何も言わないのですが、自分は薄情な子どもだと思ってしまいます。私は親不孝でしょうか?」

 懺悔のようなものだろうか。えらく古風な悩みだな、まるで昭和の小津映画のようだ……と思っていたが、なぜか令和の時代になってもこのような声は意外にも多い。むしろどんどん増えているような気もする。その一方でこういうものもよく飛び込んでくる。

「進学も就職もぜんぶ言うとおりにしたのに‼ これでもまだ親孝行しなくちゃいけないんですか⁉」

 いや、そんないきなり僕にキレられても……、と困ってしまうのはいつも通りのことだが、このような懺悔と抗議は、正反対に見えて、どちらも同じ種類のプレッシャーに急き立てられたものだろう。親に借りを返す、つまり親孝行をするといっても、事情はそれぞれの親子ごとにさまざまである。だから、この手の質問はこれまでの経緯と現在の状況、そしてためこんでいた思いを吐き出す長文が多い。

 自分が生まれた瞬間から始まる親との関係は、とにかく長い。そして何よりこの長さが厄介なのである。長い時間をかけて少しずつ絡まり合ったコードのように、どうやって解きほぐしていけばいいか、もはや誰にもわからない。「のっぴきならない関係」とはまさに親子のことだなと思う。

 さらに、子からすると親は、友人や恋人、そして夫婦とちがって自分がその人を選んだわけでもないのだ。「親ガチャ」というが、ガチャに外れるどころかガチャを引くかどうかさえ子は選んでいないのである。

 しかし、そうはいっても親子の景色はこの数十年の間に大きく様変わりした。

 子がある程度の年齢になっても親と仲良く連れ立って出かけたりする様子の物珍しさを「友だち親子」などと言ったのも今は昔。もはや、反抗期らしい反抗期もなく、まるで友達のように仲の良い親子の景色の方が当たり前になった。

 友達と遊ぶ約束を「親と出かけることになったから」と言ってドタキャンする/されるのがあるあるだと学生から聞かされた時も「遊びたい盛りの大学生が友達との約束より親とのお出かけを優先するのか……」と静かに驚いたが、さらに「おしゃれなカフェに行った」「流行のファッションアイテムを買った」などと並ぶSNSでのキラキラ・アピールとして「仲良し親子」アピールがあると知ったときは自分の脳天から聞いたことがないような声が出たものである。

 一方で親のことを憎く思ってしまって「こんなこと考えちゃダメなのに」と罪悪感に苛まれての懺悔も質問箱によく投げ込まれる。親と仲が良い、というか、仲良くしなければならないと強く意識しているようだ。僕らの世代からすると若者が親のことを憎く思うなんて、それこそ「みんなが通る道」であったはずなのだが。彼らにとって親との関係が良好なものかどうかはかなり切実な問題になっているようだ。

 流動的で不確実性の増した時代。進学や就職で地元を出て、さらに数年おきに変わる職場と交友関係。本音を話せるのは本名も顔も知らずにつながるSNSの匿名アカウントだけ……となると、「ずっとそばにいてくれる」のは、友人でも恋人でもなく家族だけという気持ちも強くなるのかもしれない。もちろん先が見えない時代の不安もある。親子関係とは何よりセーフティネットでもあるからだ。若者の経済的な自立が困難な時代に彼らが「私は親孝行ができていない」と悩むなら、そこには単なる未熟さだけではない令和ならではの切実さがあると考えるべきだろう。

 しかし、親孝行とはいったい何なのだろうか……。そんなことを考えるときにいつも思い浮かぶ言葉がある。

「いつか、よそでようさん稼いで、京都で使こうてくれたらええよ」

 京都の大人が金のない学生にこんな声をかけることがあった。そんな風に言って、飲み代をオマケしてくれたり、家賃を少し安くしてくれたりしたものである。若者たちは青春の数年だけあの街で過ごす。そして、それぞれの人生へと巣立ったあと「よそ」で立派になって、今度は観光客として懐かしい街に帰ってくる。そして、お金を落とすのだ。世界有数の観光都市でありながら、“日本最大の学生街”。大人たちからすると一種の照れ隠しの言葉だったのかもしれないが、そんなふたつの顔を持つ街だからこそのサイクルといえる。

 僕ももうすっかり「使う」側になってしまったので、今でもそのような景色があるのかどうかは分からないが、ふとした時に思い出す。そのたびに、どんな恩でもその本人に同じものを返すだけではないかもしれないなと思う。恩返しとは思っていたよりも、もうちょっと気長で、そしてもっと開かれてあるべきものなのだろう。

記事が続きます

1 2

[1日5分で、明日は変わる]よみタイ公式アカウント

  • よみタイ公式Facebookアカウント
  • よみタイX公式アカウント

新刊紹介

中井治郎

(なかい・じろう)
1977年、大阪府生まれ。社会学者。龍谷大学社会学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学。著書に『パンクする京都』『観光は滅びない』『日本のふしぎな夫婦同姓』がある。

X(旧Twitter)@jiro6663

週間ランキング 今読まれているホットな記事