2026.5.1
比嘉啓登 大手商社勤務を経て松下政経塾に入塾。34歳で地元・沖縄で市政へ 【実録・メンズノンノモデル 第6回 前編】
第6回は、2006年から2010年の間、約3年半にわたってメンズノンノモデルを務めた比嘉啓登(ひがひろと)さん。当時、建築を学ぶ大学生だった彼は今、なんと生まれ育った沖縄で那覇市市議会議員の2期目を務めている。専属モデル卒業から約16年の間、いったい彼はどのようなキャリアを歩き、そしてどんな志とともに政治の世界へと飛び込んだのか。前編ではそのあたりのエピソードを詳しく聞いた。
取材・文/徳原 海 撮影/比嘉 恵太
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メンズノンノで培ったもの作りの楽しさと仕事への責任感
歴代メンズノンノモデルOBの中でも、とりわけ特異なアフターキャリアを歩んでいるのが比嘉啓登だ。大手商社の三井物産で海外のインフラ事業に携わった後、あの松下政経塾を経て、39歳となった現在は、那覇市議会の熱意と行動力を備えた若手として地域社会にコミットしている彼に、まずはメンズノンノモデル時代の思い出から話してもらった。
比嘉啓登(以下、比嘉) 中学、高校の頃からメンズノンノが大好きで、沖縄から上京してから服好きな友人が周りにたくさんできました。19歳の時、憧れ半分、記念受験的な気持ち半分という感じで、だいぶ背伸びをして、友人からアンドゥムルメステールのTシャツとディオールオムのジーンズを借り、写真を撮ってもらって専属モデルのオーディションに応募したのが始まり。そこから3年半、憧れていたメンズノンノモデルとして活動させてもらえたことはとても貴重な経験でした。
豊かな自然に囲まれて育った沖縄から、憧れの東京へ。建築やインテリアへの興味から芝浦工業大学へと進学した比嘉青年にとって、大学生活の大部分を占めたメンズノンノモデル時代はまさに青春そのものだった。
比嘉 専属モデル同期のイーズリー(・穣)とで「比嘉カジ・イーズリーモード」とタイトルをつけてもらったファッションページは今でも心に残っています。また、部屋紹介の企画では、一人暮らしをしていた、狭い部屋の中に大好きな映画のVHFとか当時流行っていたロックや90年代ヒップホップのCDとか雑誌や洋服が山積みになった、整頓されているとはとても言えない空間を取材してもらったのもいい思い出です(笑)。「ビリーズ・ブートキャンプ」に参加させてもらった取材や温泉企画のページも楽しかったですね。

まるで、クロゼットの奥にしまっていた昔の洋服を1枚1枚、丁寧に引き出すかのように、記憶の断片を繋ぎながら当時を懐かしむ比嘉。右も左もわからずに飛び込んだファッション、そしてメディアの世界で培った経験は現在の彼にどのように生かされているのだろうか。
比嘉 誌面を読んでくれた友人や知人から「ヒロトが雑誌でしていた髪型にしたよ」、「メンズノンノで着ていた服、買ったよ」などと言われると、流行を発信する一員になったのだと勝手に思って、嬉しくて非常にやりがいを感じていました。今でこそSNS を使って個人で発信できることは増えましたけれど、当時は、ファッションも音楽も、新しい情報やカッコイイ情報を知るのはすべて雑誌からでしたから。(そんな時代背景の中)誌面作りに、その時代のファッションを作っていたカメラマンさんやスタイリストさん、編集部の皆さんと一緒に関わらせていただいたことが今でも誇りです。今の自分にそれがどう活かされているかと言われると、上手に説明できないのですが、当時各分野の第一線でもの作りをしているクリエイターさんから感じた仕事に対するこだわりや責任感、もの作りへの意識は、自分自身の仕事に対する向き合い方の根っこになっていると思います。文化や芸術の世界の第一線の人との交わりの中で得られた感性・感覚が、間違いなくたくさんありました。
メンズノンノモデル、そして大学卒業後の進路については迷いもあったという。誌面を通して“人の目に触れる”仕事をする中で、「俳優をめざしてみたい」という思いが脳裏に浮かんだことも、20代前半の若者にとっては決して不自然なことではなかった。
比嘉 大学も後半になると周囲が就職活動をし始めたり、モデルの活動で知り合った仲間が新たなチャレンジをしていく様子を見たりして、周りに置いていかれるような焦りを感じていました。自分は将来「なにを目的にして、どのように人生を進めていくのか」ということに自信を持てなかった。大学卒業までの日が迫る中で、ファッションや芸能のような華やかな世界への憧れや、それ以外の行き方も含め自問自答していました。そして、もう2年間学業を続けて考え続ければ、いつかは自分なりの人生の道が見えてくるのではないかという、漠然とした思いの中で、大学院進学を決めました。編集部でお世話になったたくさんの人に、そのとき迷える若者として人生相談をしたことを思い出します。そんな悶々としている日々を過ごす中で、ある方から大きな芸能事務所を紹介していただいたんです。僕は身長が高い訳でもないし、ランウェイを歩くモデルさんたちが醸し出すような雰囲気も持ちあわせていない。でも、ひょっとしたら、誰かが自分の才能を見出してくれるかもしれないという他力本願な気持ちが、当時を振り返るとあったのかもしれません。

しかし、俳優への道は、想像以上に険しく、甘い、簡単なものではなかった。「自分には向いていない」――自身を俯瞰してそう直感した。あまりの切り替えの早さに、周りでは諦めが早いと感じる人もいたかもしれないが、この判断が彼の人生にとってひとつのターニングポイントとなった。
比嘉 その芸能事務所の演技レッスンに参加した時、台詞をまったく覚えられず、決められた役に対し、羞恥心を拭い去って徹することができなかったんです……。年下の俳優志望の研修生の真剣な眼差しに対して、中途半端な自分の姿を目の当たりにした時に、生半可な気持ちでは俳優という仕事はできないと痛感しました。とにかく、厳しい芸能界をめざしていく覚悟が足りなかった。メンズノンノモデルという貴重な経験をさせていただいた先に、分不相応なほど、身に余るほどの大きなチャンスがあったけど、そのチャンスは他の誰かのためのものであって、自分のものではなかった。「なにを目的にして、どのように人生を進めていくのか」という、自分の生き方は自分自身で切り拓かなければいけないんだという現実を、22歳になってはじめて痛感することになりました。
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