2023.4.27
ボッティチェリ、クラーナハがウェヌス(ヴィーナス)を通して伝えたかったこととは 第7回 美女たちが見つめる先に映るもの
ジョルジョーネの眠る裸婦像は、ヤン・ファン・スコーレルの〈瀕死のクレオパトラ〉(一五二二年)のように、泉のニンフやクレオパトラなどウェヌス以外にも応用されてゆくが、対作品とも言えるほどのものは、ティツィアーノの〈ウルビーノのウェヌス〉(一五三八年)だろう。豊かな自然を背景とする〈眠れるウェヌス〉とは逆に、ティツィアーノ作品の舞台は寝室に置かれた。紅のクッションを覆う敷布の上に、裸体のウェヌスが優雅に身を横たえている。恥部を隠す左手や重ねた両脚など、ジョルジョーネ風の裸婦の姿勢をとっているが、ティツィアーノ作では女性は眠ることなく、羽根枕に肘をつき鑑賞者の方に目を向けていた。横臥するウェヌスの場合、このように眠る姿と画面の外に目を向ける姿の二つが、典型的な描かれ方である。前者で鑑賞者の視線は、目を瞑る裸婦に一方的に注がれるが、後者では女性の挑発的な眼差しや、官能的な流し目に心奪われることになるだろう。
寝台に横たわるウェヌスの頭上で、緑の緞帳がまとめられ、黒い壁の向こうにはさらに部屋が広がっている。格子模様のある石の床、豪奢な壁掛け、精緻な装飾の施された衣装櫃などから、貴族の館の室内情景を描いたと分かるだろう。奥の部屋にいる二人の侍女のうち、赤いオーバードレスに白の胴着をまとった女性は、肩に金襴のドレスを担ぎ、白い装いのもう一人が櫃の中に屈みこんで婚礼衣装を取り出そうとしていた。
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もう一つ、ジョルジョーネ作と対照的なのは、〈ウルビーノのウェヌス〉の方には、美の女神のアトリビュートがちりばめられている点である。横たわる女性の右手には薔薇が握りしめられ(1)、頭部には婚礼を意味するギンバイカの冠を戴いている(2)。これはどちらも、ウェヌスを象徴する植物である。それだけではなく、部屋の窓辺に置かれたミルテの鉢は多産を(3)、寝台の足元で丸くなる仔犬は貞節を象徴していた(4)。よってこの作品は、婚礼の祝福や安産祈願を目的として制作された絵画だと考えられている。十五―十六世紀、横臥するウェヌスは、婚礼用の長櫃(カッソーネ)の内蓋や長椅子の背板、夫婦の寝室の壁を飾る絵画などの人気のモチーフであった。この用途のために生み出されたウェヌス像は、この二つのヴェネツィア派の絵画だけに留まらない。例えば、ボッティチェリと同時期に、フィレンツェで活躍したピエロ・ディ・コジモの〈ウェヌス、マルスとクピド〉(一四九〇年頃)もまた、横長の板絵の形状から婚礼家具の一部であったと考えられているが、こちらの方がより寓意的な性質を帯びている。
ピエロ・ディ・コジモの絵画では、前景で斜交いとなるように、ウェヌスとマルスが柔らかな草地に身を横たえている。戦の神マルスは完全に武装を解き、赤いクッションに頭を預け、身体を弛緩させ深く寝入っている。下腹部を布で覆う以外は何も身に着けておらず、彼の腕当てはすぐそばに、それ以外の甲冑、脚部覆い、兜や盾、剣などは中景の草地に転がり、赤い翼を生やしたプットーたちの玩具となっていた。反対側に横たわるウェヌスは、クッションから頭を起こし、マルスの方に視線を向けている。白い服と透明なヴェールをまとうが、胸や腹部はむき出しとなっていた。結った髪には、ウェヌスを象徴する真珠飾りをつけ、左腕の下にクピドを抱きかかえている。
眠るマルスとそれを見つめるウェヌス。武装を解かれた戦の神は、性交の後に無防備な姿を晒し、疲労のあまり前後不覚に陥ってしまったという。ここではウェヌスが征服者であり、マルスは彼女に屈服したという状態が描かれているのである。つまり、「戦い」に勝利する「愛」を表した寓意画なのだ。そして、この図式を強調するのが、つがいの鳩と兎である。女神の足元にいる二羽の鳩は、性愛を意味する彼女のアトリビュートであると同時に、黒い鳩がマルスを、白い方がウェヌスを表しているようにも見える。また、クピドの手に鼻面を押し付け、ウェヌスの肢体に身をすり寄せる兎は、肉体的な欲望と多産と二つの意味を兼ね備えているが、この絵のウェヌスはまさにその二面性を体現しているのかもしれない。しどけない姿の恋人たちが欲望を表す一方で、赤子風の描かれ方をしたクピドとそれを抱く母親めいたウェヌスが出産のイメージも担っていると考えられる。ここに見られるクピドは、幼児姿という一般的なイメージよりも幼く、背中の赤い翼も目立たないために、ウェヌスの子供という面が前に押し出されているようだ(1)。さらに、この二人の神々と中景のプットーたちの背後に見える灌木は、ウェヌスの聖木ギンバイカであった。遠景の海と曲線を描く岸辺により、絵の舞台が女神の生誕地キプロス島であると推し量れる上に(2)、画面左奥で輪舞するプットーたちの姿(3)から、ウェヌスが統治する愛の園という印象も重ねられているのだろう。
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