2026.5.25
頭のいい人は寂しい【第13回 相談できないトップオブトップ】
縛られず、気兼ねなく過ごせる一人の時間は自由気ままで、得難い魅力があります。
一方で、孤独死、孤食、ぼっちなど、「一人」に対して、否定的なイメージがつきまとうことも否めません。
家族関係も多様となり、オンラインで会わずにつながる関係性も行きわたった昨今、一人=孤独というわけではないにもかかわらず…。
隣に誰かがいても、たとえ大人数に囲まれていても、孤独は忍び寄ってくるもの。
『負け犬の遠吠え』『男尊女子』『消費される階級』『ひのうえうまに生まれて 300年の呪いを解く』など、数多くの著書で時代を掘り下げ続ける酒井順子さんが、「現代人の孤独」を考察します。
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最高のレベルのある人達

ものすごく頭の良い人と話していると、すぐに私の頭の良くなさに気づかれて、さりげなく馬鹿にされることがあります。「馬鹿にされているのだな」と思うと悲しい気持ちになるのですが、しかしこの頃は思うようになりました。
「あの人達は、孤独なのだな」
と。
ものすごく頭の良い人は、自分と同レベルの頭脳を持つ人と、滅多に会うことができないことでしょう。打てば響く相手と高度なやりとりを繰り広げたいのに、なんでこんな人間の相手をしなくてはならないのだ。……そんないらつきと絶望感によって、つい相手を馬鹿にせずにいられないのだろう、と私も年をとって理解するようになってきた。
どのようなジャンルにおいても、最高のレベルにある人は、同様の孤独感を抱いているに違いありません。音楽であれスポーツであれ、自分が達した境地から見える景色を他の人は見たことがない、という状態は、その人に栄光と共に孤独をももたらすのではないか。
たとえば大谷翔平選手などは、その手の孤独をよく知る一人でしょう。野球においても人格においても欠損のない大谷選手の姿を見ると、自らの欠損が浮き彫りになるようで私はついテレビを消してしまうのですが、しかし一方では思うのです。「孤独だろうなぁ」と。
彼は、常に活躍を続けなくてはならない宿命を背負っています。多大なプレッシャーやストレスと共にあることと思いますが、かといって変な方法でそれらを解消することはできない。婚外恋愛や風俗通い、薬物使用などはもってのほかなわけで、家族やデコピンだけが、彼の真の姿を受け止めているのではないか。
それは外野の勝手な想像ではあります。が、悪い評判がいっさいない彼の清さを見ると、時には薄汚れた行為をそっとさせてあげたいものよ、と思ってしまう。
大谷選手ほどの存在でなくとも、組織のトップに立つような人は皆、孤独を感じていることでしょう。中年になると、知り合いの中にぽつぽつと社長という立場につく人が出てきましたが、社長達は組織の頂点に立つことによって、充実感と共に孤独感をも背負わなくてはならないに違いない、と端から見て思っていた。
勤めていた会社を辞めて、自分で起業した人。親の会社を継いで、何代目かの社長になった人。そしてたまには、大きな企業で着実に出世していき、社長の座についた人もいました。
会社の規模は大小様々でも、一つの組織を率いて社員とその家族の生活を背負うことの重責は、変わるものではありません。良いことがあればそれは社員の功績であるのに対し、
「何かトラブルがあったら、それは社長の責任になる。社長の『しゃ』は、謝罪の『しゃ』!」
と、かつて某大企業の社長が言っていましたっけ。
ラクだから一人でいる
親の会社を引き継いで社長になった知人と話していたところ、
「うちみたいな小さな会社でも、やっぱり社長ってなんだかんだと大変なんだよね。仕事の愚痴を言う相手もいないし。〝部下″だった時代は、上の人を悪者にして部下同士でブツブツ言ってガス抜きができたけど、今となってはそれができない」
と言っていました。
確かに、社長には愚痴などこぼさず、泰然としていてほしいもの。
「社長の孤独に耐えてるのね。偉い!」
と褒めると、
「でも、物書きの方がずっと孤独なのでは?」
と言われました。
確かに物書き業は、基本的に一人で行う仕事であり、頼れる上司も手伝ってくれる部下もいません。が、一人であれば、他人を率いたり他人の行為の責任を取ったりする必要はない。会社員のように職場の人間関係に苦慮しなくてもいいし、集団のルールに従わなくてもいいのです。それは孤独とは少々異なる状態なのであり、
「ラクだから一人でいるだけなのかも」
と、私は社長に返答しました。
私はわずかの期間ながら会社員をしたことがあるのですが、振り返れば組織の中には、孤独の種子があちこちにあったものでした。たとえば私は全く仕事ができなかったため、ダメ社員の悲哀を日々味わっていたのですが、その悲哀のもとにあるのは、孤独感でした。
周囲の人々は皆、生き生きと仕事をしているように見えました。会議では堂々と発言し、デスクの電話では、得意先とさかんにやりとりを交わしていた。
対して自分は、そもそも会議で発表するような‶意見″があるのかどうかもおぼつかなく、あったとしても大声で発言するなど、恥ずかしくてできない。周囲に人がいる時、デスクの電話で話すのも苦痛でした。
昨今の若い会社員は、会社のデスクでの電話を周囲に聞かれたくないので、席を外してスマホで話すということですが、その気持ちもわかります。もしかすると昔の自分のあの感覚は、時代を先取りしすぎていたのかもしれぬ、と今にして思うのです。
とはいえそのようなことは瑣末な事象であって、私の根本的な問題は、他人と協力しながら仕事を進めるチームプレイが根本的にできないところにありました。
「このやり方は間違っているのではないか」
「迷惑をかけているのではないか」
などと思うと身動きが取れなくなるのであり、当然ながら報告・連絡・相談、全て不得手。
周囲のシゴデキな人達は皆、忙しそうでした。優秀な人は忙しく、忙しい人のところにさらに仕事が集まるのが、会社の摂理。
対してシゴダメな私は、余裕のあるスケジュールでした。隣の部署の優秀な同期はとても忙しそうなのに自分はデスクにずっといることに気づくと、‶仕事してます″風の隠蔽工作をしたりして、そんな姑息さがまた、孤独感を増進させる……。
結局私は、シゴダメから来る組織内孤独感に耐えられず、会社を辞めました。組織から離れて一人になることによって、さらに寂しさや心細さが募るかと思いきや、そうではなかった。むしろ会社員時代に感じていた孤独感が霧散して、果てしない自由を得ることができたではありませんか。
「向いていなかったのだなぁ……」
と、青い空を眺めつつ、会社への申し訳なさを噛み締めたことでした。
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