よみタイ

草葉の陰でご先祖様は何を思うのか【第15回 死後も残る小さなイエ】

イエの存続のために生家を出された男子たち

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 江戸時代、武家では子孫が途絶えるとお家断絶となってしまいました。そうなってはならじ、と養子を迎えるなど、必死の努力がなされたのです。
 家を絶やさないため、男の子が複数いる家から養子を迎えるという行為は、割と最近まで行われていたようです。実際、私の父もまた、養子として酒井家に迎えられた人でした。
 我が家はおそらく普通の農民だったと思われる、まごうことなき庶民。だというのに、子供のいなかった祖父母が家を継がせるべく、男の子が二人いる親戚から、次男の父をもらい受けたのです。
 私が子供の頃は、父は養子だった、と聞いても「へー」と思う程度でした。が、大人になってから養子問題を考えると、それはなかなかにむごい制度だったと思わざるを得ません。父がいつ養子になったかは定かではありませんが、幼い頃に実の親や兄弟から引き離されて別の家で暮らさなくてはならないというのは、何歳であろうと過酷な体験です。
 我が家の場合、父の実の両親とも親しい交流があったので、私には父の実親と養親、母方の親と、都合六人の祖父母がいました。それでもいくら交流があったとはいえ、養子に出された当人の寂しさが消えることはなかったことでしょう。
 父にはある種の性格の歪みが見られる気がする、と私は子供ながらに思っていたのですが、それが原因のひとつともなって、我が家はなかなかの火宅でした。実家に住んでいる頃は、そんな父を疎む気持ちを持っていましたが、実家から離れ、やがて父が他界すると、私の心境は変わっていきました。親きょうだいと離れて生活しなくてはならなかった父はずっと孤独を抱えていたに違いなく、結婚後はそれが妻子にも理解されずに、更なる歪みを呼んだのではないか、と。
 昭和の時代、日本の次男以下の男児には条件の悪い田んぼしか与えられなかったり、奉公に出されたり、他所よそに出ざるを得なかったりと大変な道を歩むことがままありましたが、父の場合も、次男であったが故に養子に出されたのです。
 養親の方も、跡取りとして迎えた父に気を遣ったようですが、互いに気を遣うあいだがらにおいて、父が心の底からのびのびできる時はあったのか。多少の歪みが生じるのも当然だろうよ、とも思います。
 養子だったが故に育まれたと思われる父のパーソナリティは、私の気質にも多少の影響を及ぼした気がしてなりません。もちろん、傷つかずにまっすぐ育った養子もいるかとは思います。が、かつて養子がかなりポピュラーな手段であったことを考えると、個人よりもイエが大切にされたことによって傷ついた子供たちの心は、日本社会にかなりの影響をもたらしたように思うのです。
 その後、時代は変化しました。結婚の時、男性が女性側の苗字を名乗るケースはあれど、イエ存続のために幼い男児をもらう、という事例はあまり見なくなりました。人々のイエの存続に対する執着自体が薄くなってきましたし、その前に男児が複数人いる家庭自体が、少ない。男児が何人もいたとしても、大切な我が子を他家にあげることを承諾する親は少数派でしょう。
 我が家の場合、子供だった父が寂しい思いをさせられてまで存続させようとしたイエは、残念ながらそう遠くないうちに絶えてしまいそうです。我が家の仏壇には、父を養子として迎えた祖父母の位牌いはいが置いてありますが、その位牌を目にする度に私は「すみませんねぇ」と思うものの、その思いはあまり深刻ではありません。養子(とか、側室とか)という離れ業を使わないと存続できないのがイエなのであり、その離れ業があまりに人間の心を無視しているから、イエから人々の心は離れていった。この制度、そしてこの制度を取った日本が先細りになっていくのは、当たり前のことなのでしょうね、と思うのです。

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 そこで頭に浮かぶのは、世襲のお仕事などのため、どうしても存続しなくてはならないとされるイエ、中でも天皇家のことです。女性天皇、女系天皇が認められるようになってほしい、という多くの声が国民から上がっているにもかかわらず、政府は旧宮家から養子を迎えるという案を推している。
 もちろん私は、「養子、ねぇ……」と思うのでした。何歳頃に養子になるのか、誰のもとにどのような形で行くのかはわかりませんが、旧宮家とはいえ一般人となった家庭から皇族家庭へ養子に入るのは、本人にとって相当なストレスに違いない。ましてやイエ存続のために養子に行く人など滅多にいない時代において、日本一目立つ養子になることは、本人にとって決して嬉しいことではないでしょう。将来的には、是が非でも子供、それも男児を誰かに“産ませ”なくてはならないという国家的任務を背負って皇室に入るストレスによって養子に生じた歪みは、たとえうまく男児が生まれたとしても、その子に伝わるのではないか、との心配も募るのでした。
 本当は「酒井」ではなかったのに、酒井家の墓に眠る父。仏壇に収まる父の位牌を見ると、私は申し訳ないようなかわいそうなような、複雑な気持ちになるものです。
 さらには今、父が残そうとしたイエを細々と守る女たちは、
「マンション墓、ラク!」
「いいねぇ」
 と、墓じまいに向けて積極的に歩み出そうとしています。私などは、最終的にファミリーツリーが消えてなくなるのなら、マンション墓のさらに後は合祀ごうししてもらうとか、樹木葬とか、そのあたりになるのだろうな、とも思っている。
 実家の墓に戻るわけにはいかず、養家の墓も風前の灯状態という今、果たして父は、どこで眠りたいと思っているのでしょうか。思い返せば母親は生前、
「遺灰は海に撒いてほしいわ。あなた達の行きたい所なら、どこの海でもいいわよ」
 と冗談まじりに言ったことがありましたっけ。つい忘れて酒井家の墓に入れてしまいましたが、母としても婚家の人と一緒に埋葬されたくない、と思っていたのかもしれません。
 家族という集団が形成されるのは、メンバーが生きているあいだのみ。その集団意識はずっと続くものではなく、人は死後、実は「ひとり」に戻るのかもしれない、と思うのでした。

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*次回は8月24日(月)公開予定です。

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酒井順子

さかい・じゅんこ
1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。
2004年『負け犬の遠吠え』で婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。
著書に『裏が、幸せ。』『子の無い人生』『百年の女「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』『駄目な世代』『男尊女子』『家族終了』『ガラスの50代』『女人京都』『日本エッセイ小史』『老いを読む 老いを書く』『松本清張の女たち』『ひのえうまに生まれて 300年の呪いを解く』の他、『枕草子』(全訳)など多数。

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