2021.2.12
イスタンブールの大家族とチャイと「ちゃんかく」と。
プライベートや取材で、さまざまな場所を訪れ、人々と食卓を囲み語る。
日常や旅先で見つけた、人生の記憶に残る言葉やエピソードの数々。
人との出会いは一期一会。だけど宴は縁をつなぐ――そんな食と人生にまつわるエッセイです。
前回は2015年1月にホームステイしたロンドン郊外のチンフォードに住む、イギリス人とトルコ人夫婦との筆者との距離を変えた料理についてのお話でした。
今回は、その旅のつづき。飛んでイスタンブール。チンフォードのトルコ人夫、ケナンに紹介されて訪れた彼の実家での心温まるエピソードです。
ロンドンのサリーとケナン宅をあとにして、イスタンブール空港へと向かう。4時間程度のフライトで、飛行機は空港に着いた。このとき初めて私はトルコに来たのだった。
待ち合わせの駐車場と思われるところに来てみたものの、人がごった返しているし、車も多い。混雑のなかで、顔も知らないケナンの兄弟を見つけなければならない。電話番号は控えているが、英語ができないと聞いているので、かけても仕方がないだろう。どうしたものかと思っていると、中年の男性に話しかけられた。
彼はケナンに少し似ていた。きっとこの人だろうと、私は思った。「ちひろです。ケナンの友達です」と何度か言うと、彼は「ケナン! ちひろ!」と言って笑顔になった。そこからはトルコ語で、私には意味がわからない。表情と態度とボディランゲージで、「自分がケナンの家族だ、迎えに来たから車に乗ろう」と言っているらしいのがわかった。私は大きく頷いて彼についていった。車中で彼は、英語ができなくてすまないというようなことをどうにか私に伝えてきた。こちらこそトルコ語もできないのに押しかけて申し訳ないです、と伝えるべきだったが、手段がなかった。
知らない街を車が走る。交通量の多さに驚いていると、「トラフィック」と言って彼は頭を振った。渋滞していて嫌だねえ、と言っているらしかった。私はまだ彼の名前がわからなかった。きっと自己紹介してくれたはずなのだが、聞き取れなかったのだ。
初対面の人とは、いつもならもう少し注意深く接するのだが、私はなぜか安心していた。来たことのない街で、はっきりとは誰かもわからない男性の横に座り、言葉も通じないのに、彼に関しては疑う必要を少しも感じなかったのだった。いまとなってはそれを本当に不思議に思うものの、あのとき私は緊張さえしないで、言葉の通じないドライブを楽しんでいた。空港の近くに家があるとケナンからは聞いていた。20分ほど走っただろうか。坂道が入り組む素朴な町並みのなかの、一棟のマンションの前に車が止まった。彼はスーツケースを持ってくれ、私を案内する。