よみタイ

ブリュッセルのミュージシャンの手作りオープンサンド

話題作『聖なるズー』で第17回開高健ノンフィクション賞を受賞した作家・濱野ちひろさん。
プライベートや取材で、さまざまな場所を訪れ、人々と食卓を囲み語る。
日常や旅先で見つけた、人生の記憶に残る言葉やエピソードの数々。
人との出会いは一期一会。だけど宴は縁をつなぐ――そんな食と人生にまつわるエッセイです。

前回はイスタンブールが舞台。ロンドン郊外のチンフォードで出会ったトルコ人、ケナンに紹介されて訪れた彼の実家での心温まるエピソードでした。

今回はとあるきっかけで知り合った、魅力的な才能にあふれるベルギーのミュージシャンとのお話。『聖なるズー』のドイツ取材の合間に、著者を癒してくれた人でもあった。

 
ダン(Dan Barbenel)から届いた最近の一枚。
ダン(Dan Barbenel)から届いた最近の一枚。

 ダンを初めて知ったのは、もう十数年は前の、東京の青山にあるライブハウスでのことだった。彼は日本公演を行うため、ベルギーのブリュッセルから、バンドを引き連れ、たくさんの楽器を携えやってきていた。バンドの名前は、Mr. Diagonal & The Black Light Orchestra (ミスター・ダイアゴナル&ザ・ブラック・ライト・オーケストラ)。ミスター・ダイアゴナルと名乗るのがダン。ピアノとボーカル、作詞作曲、編曲を務めている。他に、キーボードのエリック、パーカッションのヤニック、フルートのコンタン、それからサックスのグレッグからなる。ひとりひとり、個性と才能が際立っていて、ひとりも平凡な人物がいなかった。エリックは穏やかで優しく、ヤニックは粋で、コンタンは理解を超えた天然の素質を備えていて、グレッグは無口で身長がだいたい2メートルくらいあった。

 ステージは完璧だった。あの晩、そのライブハウスには音楽がもたらすチャーミングな瞬間たちばかりが集まっていたように思う。たくさんの笑顔があり、リズムに乗って動き出す身体があり、喜びが弾けているような歓声があった。彼らの音楽とパフォーマンスの素晴らしさを私はその晩初めて体験したのだが、一曲目にはもう惹き込まれていて、大好きだという幸せな気持ちで早くもいっぱいになっていた。

 たくさんの不思議な偶然が積み重なって人生はつくられていくものだが、ダンたちとの出会いも、まさにそういったもののうちのひとつだった。青山でのライブから遡ること1年ほど前、私はブリュッセルに行く予定を立てていた。出発も一週間後に迫ったころ、知り合ったばかりの人との雑談のなかでそれを話題にしたら、「それなら、ぜひ会ってきてほしい人がいる。素晴らしいミュージシャンだから」と、連絡先をひとつ、手渡された。

 どうせほとんど計画のない十日ほどの旅で、したいことといえば数人の親しい人々に久しぶりに会うことだけだった。気が向いたら連絡してみよう、という軽い気持ちで私はその連絡先を受け取った。ブリュッセルで過ごしていたある日、少し退屈してきて、その人に連絡を取った。電話口で彼から聞いたことは、あさっての晩にちょうど小さなコンサートを開くから、ぜひおいで、ということだった。

 到着したのは小さなカフェ。二人組の男性がいた。一人はフルート、もうひとりは持ち運べる小さなキーボードを持っていた。演奏が始まる前だったので、挨拶しようと近寄ると、フルートを持っている方が「来てくれたんだね! ありがとう!」と言った。それがコンタンとの初対面だった。隣にいるのはエリックだと紹介された。後で話そう、と言って、彼らは演奏を始め、私はベルギービールを飲み始めた。演奏はこの場にふさわしい、楽しく、明るく、気楽なものだった。町のなかに音楽の場が溢れていること、それをビール1〜2杯ぶんのお小遣いで楽しめてしまうことを、私はうらやましく思った。そしてすぐに、彼らの演奏が実は非常に本格的なことに気づき、うらやましさを上回ってびっくりした。コンタンは驚異的にフルートがうまかった。

 演奏後、感想を伝える私にコンタンは言った。「今日はユニットのコンサートだったけど、僕たちはふたりともブラック・ライト・オーケストラというバンドもやっていて、日本にもツアーにいこうと思ってるんだ。絶対に、絶対に、会ってほしい人がいる。ダンというんだ。ダンは、すごいんだ!」

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濱野ちひろ

1977年、広島県生まれ。
2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。
2018年、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。現在、同研究科博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む。
2019年、『聖なるズー』で第17回開高健ノンフィクション賞を受賞。
その他最新情報は公式HP

写真:小田駿一

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