よみタイ

12年の年月を経て味わう親友のドリップコーヒー

話題作『聖なるズー』で第17回開高健ノンフィクション賞を受賞した作家・濱野ちひろさん。
プライベートや取材で、さまざまな場所を訪れ、人々と食卓を囲み語る。
日常や旅先で見つけた、人生の記憶に残る言葉やエピソードの数々。
人との出会いは一期一会。だけど宴は縁をつなぐ――そんな食と人生にまつわるエッセイです。

前回はカザフスタン人の友人女性と一緒に行ったミラノのマクドナルドでのお話でした。

今回は大学時代の親友とのお話。おいしそうなコーヒーの香りが文章からも届いてきそうです。

 弓太と出会ったのは大学に入りたてのころで、もうその経緯を私は覚えていない。弓太によれば、彼もうろ覚えではあるが、たしか学食に居合わせたときに共通の知人を介して一緒に食事をしたのがきっかけだという。よくある出会いのひとつだったのだろう。その後、共通の知人とは縁が切れたが、弓太とは不思議と交流が続いた。といっても、互いにそう熱心に大学に通うタイプでもなかったために、試験期間など、やむを得ず学生がキャンパスに押し寄せているような時期に、ふとすれ違って挨拶し、たまに時間があればベンチに座り込んでジュースを飲みながら話す、というような間柄だった。
その距離感とは無関係に、私たちはいつ会っても自然体でのびのびしていた。卒業式の日にはわざわざ会おうとはしなかったが、偶然、顔を合わせた。二人とも用事があったので喫茶店に行くでもなく、ただ手を振り合っただけで別れた。

 そのとき、まさかそれきり弓太と連絡が取れなくなるとは思ってもいなかった。そもそも彼に関しては、会いたいなと思うと数日以内になぜか出くわすということを繰り返していたので、「弓太と会えなくなる」という状態は現実味がなく、その可能性を考慮することもなかった。そうでなければ、卒業式の日に「じゃ、またね」のたったひとことですませるはずもない。

 しかしその後、どうやら時期を前後して、互いに連絡先をなくしてしまったらしかった。私たちが大学を卒業した2000年には、SNSは存在しなかった。メールアドレスはあるにはあったが、今よりも限定的な使い方をしていたように思う。携帯電話はあったが、ナンバーポータビリティはなかった。そういう時代だったから、人の縁はこうして運命に試されるような局面に曝されることがあった。試練にぶちあたったなら努力して覆せばいいのだが、忙しかったり面倒だったり、あとは単純にのんきだったりするせいで、二人ともそのままやり過ごしてしまった。

 音信不通に関してぼーっとしたまま12年ぐらいが経ったある日、突然、弓太からフェイスブックを通してメッセージが来た。かつて文学部のキャンパスのスロープで挨拶していたのと同じ調子で、「よう!濱野!」と、弓太は文字で現れた。気まぐれにフェイスブックを検索してみたら私を見つけたという。びっくりしたというと嘘になってしまいそうだ。というのも、こういう感じで縁が戻ってくるのをあらかじめわかっていたという感覚のほうが強かった。だから私たちはすぐ、そのまま話し始めた。12年の間に私は結婚して離婚していたのだが、話していると、そういうことが特別なことではなく、淡々とした日常のできごととして捉えられるのだった。そういえば、弓太との会話はいつもそんな感じだったかもしれない。「おお、濱野はいろいろあったんだなあ〜。すげえなあ〜。俺はハゲたくらいで、なんもねえや」と弓太は言った。 

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濱野ちひろ

1977年、広島県生まれ。
2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。
2018年、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。現在、同研究科博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む。
2019年、『聖なるズー』で第17回開高健ノンフィクション賞を受賞。
その他最新情報は公式HP

写真:小田駿一

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