よみタイ

イスタンブールの大家族とチャイと「ちゃんかく」と。

大家族宅でいただいた手作りごはん。ロンドンで2週間過ごした直後だったので、お米がありがたかった! とても優しい味付けで、癒やされる。
大家族宅でいただいた手作りごはん。ロンドンで2週間過ごした直後だったので、お米がありがたかった! とても優しい味付けで、癒やされる。

 このとき、私は彼らのもとに2泊3日した。最初の晩は確かおばあちゃんの家で寝たのだが、翌晩はデニスの家だったと思う。朝、昼、晩と、それぞれの家を順繰りに招かれてごちそうになった。そして日中にはチャイを飲んだり、外に散歩に行ったり、市内観光に案内してもらったりした。写真を見返すだけでも、いかに手厚く歓待してもらったかがわかる。毎食大ごちそうが並び、そしていつも美味しかった。ふらりと来た日本人の私を、この大家族は疑いもせず心から楽しんで迎え入れてくれ、なんのかのと世話を焼き、たくさんの思い出をくれた。この経験を、その後知り合ったほかのトルコ人に話すと、みな微笑んで「トルコらしい経験をしたね。そうだよ、トルコ人というのはそういう人々なんだ」と言う。彼らは客人をもてなすのを、あたりまえで大切なこととしているのだそうだ。そうだとしても、うわべではない、豊かで激しい感情がいつも伴われていることに、私はやはり驚く。彼らは私を迎え、喜び、笑い、別れ際には泣きそうになり、そして「必ず次回も来るように」と言う。さらには、「それで、いつ来るのか?」と真剣に予定を決めてしまおうとさえするのである。

 この滞在で、特に印象に残った場面を挙げるなら、やはり最初の晩のできごとになる。リビングで、みんなで囲んだチャイのひとときだ。
 
 日本人とお茶は切っても切り離せないが、トルコ人もまたそうで、彼らは本当によくチャイを飲む。ひっきりなしにと言っていい。あの晩、リビングに集まる皆をひとまとまりの家族だと理解したあたりで、ドライフルーツや豆の菓子とともに、チャイが用意された。

 子どもたちに囲まれて、ひとりひとりの話を聞いていた。と、いってもみんなトルコ語で話すので、もちろん内容はわからない。だが、不思議なもので一生懸命聞いていると心は通じていき、具体的な意味の理解はできなくても、感情のやりとりは問題なく成り立つのだった。まだ、「わかる?」「わからない」「こうだよ!」「まだわからないよ」「これのことだよ!」「ああ、なるほど」といった簡単な意思疎通は、言葉を介さずともできてしまう。そこから、子どもたちは私に何がどの程度伝わるのかを探っていく。その過程で、小学校で習いたての英単語を披露する子もいた。中学生くらいの子は、もっとたくさんの英単語を知っているけれど、文章に組み立てられないのが恥ずかしいようで、かえって言葉を切り出せず、もどかしそうだった。

 いちばん小さいニーサという女の子は、英語はまったく話せない。だが誰よりも積極的に私に話しかけてきた。全部トルコ語である。まず彼女は私に、チャイの飲み方を教えてくれた。「砂糖を入れてもいいよ」ということと、「とても熱いので、気をつけないとだめだよ」ということだったのだが、後半がよくわからず、グラスを持つように言われたのかと勘違いした私は、不注意にそれを掴んでしまい、「あっつ!」と日本語で思わず口にして慌てて置き直したのだった。それを見てニーサは大笑いした。

 ニーサは私がチャイもろくに飲めないとわかったことでお姉さんぶるようになり、私に色々教えることに熱中した。まず彼女が取り組んだのは数字である。1はbir(ビル)、2はiki(イキ)、3はüç(ユチ)。ところがbirからして私は合格しない。何度挑戦しても発音が違うのだ。トルコ語のrは、私の耳には「ル」と「シュ」が組み合わさったような不思議な音に聞こえ、どう再現したらよいのか見当がつかない。ニーサは鬼教官で、いくら言い直しても繰り返し「ちがう! bir!」と妥協しないのだった。10までの数字をどうにかこうにか、ニーサに続けて唱える。呪文のようだった。うまく言えるようになったとは思えなかったが、いったん数字の特訓は終わった。私の発音が向上したのではなく、ニーサが飽きたのに違いなかった。

 続いてニーサは、私達が座り込んでいた絨毯の柄を指しながら、新たな呪文を唱え始めた。「丸」「四角」「三角」など、図形の形を教えてくれているらしい。単語はもう覚えていないが、発音はさらに難しかった。根気よく彼女のしゃべりかたを真似してみる。二巡目か三巡目ぐらいで、ニーサのお姉ちゃんのエスマが笑いはじめた。周りも笑って、ニーサに話しかける。ニーサは彼女たちにちょっと口答えする。するとみんながもっと笑う。

 どうやらこういうことなのだ。ニーサは「ちひろ! これが“まる”。これが“しかく”。それから、これが“ちゃんかく”だよ」と私に教えており、私もまた「“まる”“しかく”“ちゃんかく”」と続けていたようなのだ。

 この経緯を理解できたことが、いまでも面白いと思う。その場には子どもたちばかりで、誰も英語は話さなかった。もしかしたら「Nisa, Baby」くらいの英単語はあったのかもしれないが、理解できる文章を使ってこの説明がなされたわけではない。おそらく、仕草や手や指、表情での表現を頼りに理解ができた。姉のエスマをはじめ、ニーサのいとこにあたる子どもたちが、みんなでニーサをかわいがっていることも、手に取るようにわかった。

リビングで集まった最初の晩のチャイ。グラスが熱々で取り落しそうになる。トルコのチャイの器には取っ手がない。
リビングで集まった最初の晩のチャイ。グラスが熱々で取り落しそうになる。トルコのチャイの器には取っ手がない。
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濱野ちひろ

1977年、広島県生まれ。
2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。
2018年、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。現在、同研究科博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む。
2019年、『聖なるズー』で第17回開高健ノンフィクション賞を受賞。
その他最新情報は公式HP

写真:小田駿一

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