よみタイ

ドイツ料理「クヌーデル」に対する複雑な気持ちについて

話題作『聖なるズー』で第17回開高健ノンフィクション賞を受賞した作家・濱野ちひろさん。
プライベートや取材で、さまざまな場所を訪れ、人々と食卓を囲み語る。
日常や旅先で見つけた、人生の記憶に残る言葉やエピソードの数々。
人との出会いは一期一会。だけど宴は縁をつなぐ――そんな食と人生にまつわるエッセイです。

前回、第1回は自身の作家人生に大きな影響を与えた映画監督・鈴木清順さんとの大学時代のエピソードでした。

第2回は、開高賞作『聖なるズー』にも登場し、読者の関心を呼んだドイツの家庭料理、クヌーデルについての複雑な気持ち。お楽しみください。
料理上手のフランクが、自慢のオーブンで焼いてくれたチキンには、ドイツ名物の芋団子「クヌーデル」が添えられていた。
料理上手のフランクが、自慢のオーブンで焼いてくれたチキンには、ドイツ名物の芋団子「クヌーデル」が添えられていた。

 ドイツに行く度、3キログラムくらいは太って帰ってくる。毎回そうなので、もはや決まり事になってきている。旅先では食生活にはなるべく気をつけているつもりだし、あちこち歩くので、運動量は通常よりも多いはずだ。それなのに、必ず脂肪を得て帰国する。  
  
 ドイツというところには、ビールとジャガイモとソーセージからなる三角魔方陣がきっとあって、そこにいったん入ってしまうとなかなか出られないのだ。魔方陣の中ではこの三つの名物を存分に味わわないといけないのだが、困ったことにドイツには5000種に上るビールがあり、ジャガイモはおよそ200種、ソーセージは1500種以上あると言われている。いくら食べて飲んでも終わりが見えない。だから魔方陣からようやく抜け出せたとしても、その時には確実に丸くなっている。
 実際にドイツの食卓にはこの三つが本当によく並ぶ。ビールはいつ何時、どこで飲んでいても別に怒られない。家でも公園でも、飲みたい人はいつでも飲む。ジャガイモに関していえば、レストランに行こうものなら、食べきれるとは決して思えない量が毎回出てくる。揚げられたり茹でられたり、潰されたり細切りにされたり、思い付く限りのあらゆる手法で調理されて来る。そしてみんなそれを淡々と食べている。ソーセージに至っては、朝にはもう登場する。ドイツの家庭の朝ごはんは、「カルテスエッセン(冷たい食事)」といわれる火を通さない食事が一般的だ。冷蔵庫からソーセージ類とチーズをどっさり出し、パンとともにテーブルにずらっと並べる。各自好きなものを好きなだけパンに塗ったり挟んだりして食べる。スープなどの温かいものはない。火を使って調理する温かい食事はドイツではふつう昼だけで、朝と夜は基本的に冷蔵庫にあるもので軽くすませる。

 ドイツにいると、料理の腕前よりもキッチンがいかにピカピカであるかを自慢されることが多い。清潔さや設備の新しさは褒めると喜ばれるポイントだ。普段あまり温かいものを作らないからキレイなのか、キレイな状態を維持するためにあまり料理をしないのか、判断しかねる。はっきりしているのは、ドイツ人はあまり食に熱心ではないということだ。食事は規則正しくするけれども、おいしさにはあまり注力しない。隣国フランスではあんなに多種多様で美しい料理が日々楽しまれているというのに、ドイツ人は毎朝毎夕、ほとんど同じものを食べていても不満がないようだ。一汁三菜とか、一日三十品目とか言われながら育った日本人の私には、なかなか慣れない食習慣である。

 とはいえドイツ人がみんな食事に淡白なわけではない。何度も滞在させてもらったある家庭では、よく料理をして食卓に人々を招く。父親であるフランクは、日曜日になるとシェフになり、豪勢な料理を昼から作り始める。私は彼が料理するのを手伝ったり眺めたりするのが好きなので、日曜日はしばしば彼と喋りながらキッチンで過ごした。
 フランクは「ドイツ人はあんまり料理をしないんだが、あれは良くないと思う」と言う。「美味しい匂いがしていれば家族が集まってくるし、団らんが自然にできる。でも、そもそも料理をしないんじゃ、なかなかそういう時間が生まれないよね」と。確かにその通りで、私はフランクの家族とは料理を通して仲良くなった。最初は彼が作ってくれたご馳走をみんなで食べて盛り上がり、次はお礼として私が和食を振る舞った。その家ではいつも誰かがキッチンにいて、お茶して寛いでいたり、お菓子をつまんでいたり、あるいは誰かが料理をしているのを手伝ったりしている。

 ある日曜日の晩にフランクが腕を振るって作ってくれたもののひとつが、「クヌーデル」である。クヌーデルとはドイツの名物料理のひとつで、ジャガイモ団子にブラウンソースをかけたものだ。行く先々で私はクヌーデルを振る舞われた。そのため頻繁なときには二夜連続してクヌーデルにぶつかることもあった。クヌーデルというものは、たいてい食感がもそっとしている。そしてソースの味は、ぼんやりしている。私はこのクヌーデルに対して単純ではない気持ちを抱えていて、ときには「美味しいです!」と嘘さえもつくことがあった。
 フィールドワーク中の食卓で密かに展開されていた、このクヌーデルとの闘いについて、『聖なるズー』に少し書いたところ、読者の方々から反響があった。ドイツに長年住んでいたある方は「クヌーデルは僕にとっても美味しくないです」と賛同しておられた。またある方は、映画『2人のローマ教皇』のなかでアンソニー・ホプキンス演じるローマ教皇ベネディクト16世がクヌーデルを食べるシーンがあると教えてくださり「確かに、美味しそうではなかったです」とおっしゃった。他には「クヌーデルが食べてみたい。食べられるドイツ料理店はないのでしょうか」という質問や、「読み終えてまず、クヌーデルの写真を検索しました」という声もあった。あともうひとつ、これは何人かに言われたのだが「クヌーデルの話が出てくるとほっとする」。クヌーデルは癒し系の食べものではない気がするのだが……、しかし、誰かがほっとしてくださるなら、クヌーデルを食べ続けた甲斐があったのかもしれない。

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濱野ちひろ

1977年、広島県生まれ。
2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。
2018年、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。現在、同研究科博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む。
2019年、『聖なるズー』で第17回開高健ノンフィクション賞を受賞。
その他最新情報は公式HP

写真:小田駿一

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