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濱野ちひろ「一期一宴」

イスタンブールの大家族とチャイと「ちゃんかく」と。

 マンションに入り階段を上がると、まず2階の部屋の玄関から女の子たちが顔を出していた。にこにこしている。そこを素通りして、3階、4階と登っていった。どの階でも人がいて、みんなにこにこしている。そして最上階の部屋に通された。大柄なおばあちゃんが私を迎え入れてくれて、両腕に抱きしめてくれた。まるで大昔から私を知っているかのような態度で、一瞬は戸惑ったものの、素直に彼女の腕に抱かれた。言葉はさっぱりわからないが、おそらく「よく来たねえ」と言ってくれているのだろう。そして、間違いなくケナンの母親なのだろう。鼻の形も、目の垂れ具合も、そっくりだった。

 20畳くらいはありそうな広々としたリビングで寛いでほしいと言われた。長いソファがあったので、おばあちゃんの隣に座っていると、次々に人が入ってきた。さきほど他の階で見かけた女の子たちもいた。どんどん人が増えていく。マンションの住人全員が集まって来るのだろうかと私は思った。なにか催しでもあるのだろうか。

 言葉がわからないので皆の表情や仕草から何が起きているのかを想像するしかない。私が気づいていたのは、全員がまずおばあちゃんに挨拶をすること。そして私に顔を向けて素晴らしい笑顔を向けてくれること。続いておばあちゃんに向き直ると、互いに真剣な表情で言葉を交わす。そのときに、おばあちゃんは声を上ずらせたり、涙を浮かべたりする。そして何人目かの女性が現れたときには、ついにおばあちゃんは泣き始めてしまった。ハンカチで涙を拭い、おいおいと声をあげる。これはいくらなんでも日常ではあるまい。誰かが死んだのかもしれない。今日はお通夜なのかもしれない。すごく大変なときに押しかけてしまったのかもしれない、と私は思い始めた。おばあちゃんが心配で、私は自然と彼女の背中をなでていた。するとおばあちゃんは涙を忘れて唐突に満面の笑みになるのだった。彼女の感情の起伏の激しさに当惑したが、私は背中にあてた手をそのままにした。

 状況がわからないまま、私は座り続けた。リビングには人が入ってきたり出ていったりを繰り返し、常に部屋には10人以上の人々がいた。すると空気を破るように登場した男性がいた。鍛えた体に革ジャンを着て、腕や指にもアクセサリーをしていた。みんな彼を待っていたようだった。その理由がすぐにわかった。彼は他の人よりも英語ができたのである。

大家族の子どもたちと市内観光へ出かけ、ブルーモスクへ。
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濱野ちひろ

1977年、広島県生まれ。
2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。インタビュー記事やエッセイ、映画評、旅行、アートなどに関する記事を執筆。
2018年、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。現在、同研究科博士課程に在籍し、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に取り組む。
2019年、『聖なるズー』で第17回開高健ノンフィクション賞を受賞。
その他最新情報は公式HP

写真:小田駿一

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